平成28年5月28日(土)、道東・釧路の廃校廃村めぐり、
戦後開拓集落の廃村 暁峰からは、
クチョロ原野にある奉安殿の祠、林となった久著呂小学校跡に立ち寄った後、
農山村の廃村 上久著呂(かみくちょろ)へ向かった。
簡易郵便局がある中久著呂から上久著呂小学校跡までは12kmあり、
うち鶴居・標茶の町村境から先の3kmはダートだった。
二万五千図(奥久著呂、S.40)を見ると、
上久著呂と思われるには5kmに渡って家々が散在しており
文マークはそのほぼ中心部に記されている。
上久著呂小学校はへき地等級5級,児童数23名(S.34),
昭和3年開校,昭和44年閉校,最終年度(S.43)の児童数は8名。
ダートに特徴があるカーブがあったので、
学校跡はすぐに見つけることができた。
案内してくれたK・Tさんは、文マーク入りの地形図は持っていなかったが、
今年3月訪ねたとき、倒れたコンクリの煙突があることから
ここが学校跡と見当をつけたとのこと。
学校跡からはさらに1�匸�し進むと、上久著呂唯一の酪農家Yさんの家がある。
私は成瀬さんと2人でご挨拶に足を運び、お話をすると、Yさんは
「昔はもう少し奥に住んでいたが、風の影響が少ない今の場所に越してきた」
「上久著呂の雪は1mを越えることもあるが、除雪してくれるから安心だ」
と話された。
気になっていた地形図の「奥久著呂」という地名について尋ねたところ、
「この辺りは上久著呂で、奥久著呂と呼ばれることはない」
とのことだった。
また、神社の場所を尋ねると
「学校跡の向かいにサイロの跡があって、その裏山の上にあった」
と教えていただいた。
上久著呂の離村時期(1戸になった時期)は、
学校手前の酪農家Tさんが離村した平成中頃と推測している。
画像1 : 上久著呂小学校跡付近のダート
先にYさんの牧場があるため、ダートは整っている。
年期が入った木製の電柱が続く。
右側(南側)に小学校跡、左側(北側)に往時のサイロがある。
画像2 : 上久著呂小学校跡に残る横倒しのコンクリ煙突
「こんな場所に学校があったのか」と思わせる林の中である。
画像3 : 上久著呂小学校跡対面に残る往時のサイロ
裏山にあるという神社跡を探したが、特定はできなかった。
(2016年 5月28日(土)午後2時20分〜3時頃)
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