平成27年7月14日(火)、鹿児島県の廃校廃村、
本之牟礼(ほんのむれ)を訪ねる旅、
薩摩大川駅には、阿久根市在住の花木雅昭さんが待っていてくれた。
花木さんは本之牟礼出身で、阿久根市役所勤務の頃、
市職員として集落の集団移転事業にかかわられた。
移転が実施されたは平成元年(1989年)。
「撤退の農村計画」の林直樹さんによると、
平成になってから、国が施した集落の集団移転事業は
本之牟礼を含め全国で5例しかないという。
薩摩大川駅から本之牟礼まではおよそ5km。
花木さんのクルマに乗って、お話をうかがいながら目指すと
15分後には分校跡にたどり着いた。
大川小学校本之牟礼分校は、へき地等級無級、
児童数39名(S.34),大正3年開校,昭和51年閉校。
分校は集落のいちばん手前に位置し、
校舎は陶芸の方(Hさん)の作業所兼住居として使われている。
花木さんを介して、Hさんともお話をすることができ、
作業場(元教室)を案内していただいた。
画像1:本之牟礼分校跡の校舎
屋根まで緑に包まれた木造モルタル平屋建て校舎は
南国らしい風情がある。
画像2:分校跡を流れる川
分校跡手前で合流した川は、
暗渠になって校庭の下へと向かっていた。
花木さんは
「狭い山中に、広い校庭を作るための智恵」
と話された。
画像3:「本之牟礼分校の跡」の碑
表面には「阿久根市長 坂元善文書」と刻まれている
建立は閉校の翌年(昭和52年)である。
(2015年7月14日(火)午前11時頃)
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