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2019年10月09日15:12

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同じ団地の鈴木俊さん

ウォーキングでいつもと違うコースを歩いていて、この道を先に行くと鈴木俊さんの棟があるなぁとふと思い、それから先日の朗読会で神品芳夫さんが「鈴木俊さんが亡くなりましたね」と言っていたのを思い出した。ドイツ文学の研究翻訳、とりわけリルケ研究で共通しているお二人なので親しかったのだろう。「上手さんは鈴木さんと同じ団地でしたよね」。

その死さえ知らなかったうえに、今頃そのことを書いているくらいだから、淡白なお付き合いであった。20代に私が詩人会議の事務局員をしていた時、会員だった鈴木さんに誤字を葉書で指摘されたことがある。詩人会議の事務局員がこんな間違いをするのか、と。厳しい人だなあと思った。詩人会議をほどなく退会されたが、その後も海外詩特集などで現代ドイツの詩状況を寄稿してくれていた。

詩の集まりなどではよく顔を合わせたが、接触らしい接触となったのは鈴木俊訳詩・エッセイ集『さすらい人の歌』(2008年)の末尾にリルケが晩年、交流したエリカ・ミテラーとの詩による往復書簡の訳を発見してからだった。その部分だけでなくエッセイ集全体がすばらしいものだった。同人誌『冊』は基本的に同人外の詩集を書評することはないが、この時はどうしても書かずにはいられず特例で長い書評を書いた。その号を送るととても喜んでくれて貴重なエリカ・ミテラーの詩集『愛の呼びかけ』(前掲のリルケとの往復書簡のほか、鈴木さんが彼女をドイツに訪ねた時のインタビューや彼女の他の詩の訳が載っている 1980年刊)を送ってくれた。「上手さん、哲学専攻だからドイツ語も読めるでしょ。間違って二冊買ってしまったから送ります」と分厚いドイツ語の選詩集を送ってくれたこともある。ちょっとだけリルケを読んだがすぐに挫折した(思えばもう数十年も挫折しているのだ)。これが晩年の短い期間のお付き合いである。ただしそれは文字による通信で、団地内でお会いしたことはない。最初私が住んでいたところからは2〜3分の距離だったが、私が団地内で転居し、彼は仕事場をもう一軒もって、お互い大団地のはずれに位置することになった。詩集を出した時は、彼の仕事場のポストに入れに行ったりもしたが、呼び鈴は押さなかった。そういう関係である。

時々、『冊』の詩に感想をくれた。今度の詩集のタイトルにも使った「しおり紐のしまい方」(56号)への感想葉書はこんなふうだった。「私も数年前迄『海蛍』というのを妻の編集で出しておりましたが、彼女の没後ぼーっとしているうちに距離が開いて11号で終わらしました。ご高作「しおり紐のしまい方」ステキな作品ですが、すこーし長いような気がしました」。それで私はけっこう短くしたのだが、彼が見たらまだ「すこーし」長いということだろう。追悼とかたいそうなものではないが、昔から知っている同じ団地内の詩人の思い出を時期はずれに少し書かせてもらった。

話は変わるが、もう終わったと思っていたアカバナユウゲショウの花を見つけた。今年の最遅記録ではないだろうか。しかも石混じりのアスファルトの中に咲いている。根性である。とにかく私はこの花をみると元気になる。



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