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2018年07月04日16:15

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突拍子もない

どう考えても「突拍子もない」という言葉は誤って使われている。「突拍子」というのは「拍子」を飛び出したもの、すなわち「調子はずれなこと」「とほうもないこと」「度外れなこと」であって、本来は「もない」を付けると逆の意味になってしまう。だが強く否定するのが快感なのか、ほぼ100%、「突拍子もない」と使われるのが慣用となっている。

「突飛」という似た音の語があるが、こちらは「突飛もない」とは言わない。どうしてこの差が出るのかと考えてゆくと、「突飛」は意味を認識して使われているが、「突拍子」は意味を全く考えずに使われているからだろう。「突拍子もない」は「とんでもない」とも音形が似ていて、意味上のニュアンスの混同から誤って使い慣れてしまったのではないか。「茶壷に追われてトッピンシャン」などもリズムだけが親しまれているが、将軍家のお茶を運ぶ行列に巻き込まれてお手打ちにならぬよう、家に閉じこもって「戸をぴしゃんと閉めて息を殺している」情景だと知る人は少ない。大名行列がなくなった時代ではそうしたことは忘れられ、リズムや調子のよさだけが親しまれていく。そうした時、人は語の意味を考えなくなるものだ。言葉は意味を脱いで音楽や拍子に近づいているのだ。

「とんでもない」も意味不明な言葉だ。もともと「途(と)でもない」からの転で、「とても考えられない」「思いもかけない」「途方もない」という意味だが、この「トンデモナイ」は舌をはじく発音の多用で飛び跳ねるようにリズミカルである。強く何かを否定しようとする時には、言い切る覚悟とそれなりのリズムが必要なのであろう。

「もってのほか」などもリズミカルだ。「を以って」という場合、範囲や手段を示すが、その範囲を超えてしまったものに対して「論外である」「話にならない」というように打ち捨てる感じで使う。「とんでもない」に似ている。ここはピシッと決めるぞ、という思いが湧いたときには武士かなんかになった気分で言うとよい。「もってのほかである!」。

ところで「とんでもない」が使われるのは強い否定だけではない。賞賛にも使う。彼は常人とは違う「とんでもない才能の持ち主だ」というように。つまり心の動きを言葉にして示したい場合は、賞賛であっても否定であってもリズミカルで面白い言い回しをしたがるのである。そこに力が入ってくると、もはや語の正確な意味などどうでもよくなってくるのである。あいつは「突拍子だ」ではつまらないので「突拍子もないヤツだ」とまったく逆の意味になっていようが、「もない」という否定の響きが必要になるのである。

「あぶない」の隠語的代用「ヤバイ」が、近頃では魅力的なものに対しても使われるようになっていることは不思議なことではない。古代ギリシャ語の「タウマシオス」は「驚くべき、賛嘆すべき、すばらしい」という意味だが、同時に「不思議な、珍しい、思いもよらぬ」さらには「異常な、異様な」という意味でもある。規格をはずれた「とんでもない」ものは否定されたり、賛嘆されたりする時に、激しい拒絶や、憧れのため息とともに語られるのである。

話を元に戻そう。それでは「突拍子もない」は誤用なのであろうか。広辞苑を引くと、項目の最初の注意として (主に「--もない」の形で使う)とあった。それが正しい用法であると広辞苑がお墨付きを与えているのだ。2対0で、オレの勝ちだと思っていたが、気付けば3点目を献上し、試合終了のホイッスルが鳴った。厚いのは世界の壁なんかじゃない、広辞苑のぶ厚さと慣用句が誇る伝統の重圧である。
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