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2015年12月14日00:10

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遥かなる満洲〜ラストエンペラーが見た夢の彼方

BS-TBSで今日やってた番組です。「どうしようかな〜」と思いながら、つい見てしまいました。
ま、知ってることも多いんですけど、なかなか力の入った番組でした。片岡鶴太郎がゆかりの地を訪ねたり、インタビューしたりしていました。

長春の偽満皇宮とか、自分が行ったところが映ると「そう、そう」って思いますね。旧ヤマトホテルも映りましたが、あんな姿見とか写真とかあったっけ?あの階段は1階から2階の客室に通じる階段のはずですが…。

甘粕正彦の実像を追うというコーナーがありました。確かに「ラストエンペラー」ではブキミな悪役でしたしねえ。番組では満映での甘粕の活躍に注目していました。当時撮影所で働いていたという92歳の女性の貴重な証言と写真も出てきました。時間に厳格で大変厳しい人だったこと、しかし日本人も中国人も区別なく能力主義を打ち出したこと。甘粕は文化で国を造って行こうという夢があったのだと。
中国の映画監督が、現在は映画の博物館となっている満映を案内してくれて、中国映画の発展に役立ったと言っていました。
(とはいえ、満映のドル箱は李香蘭の国策映画だったわけですが。)

偽満皇宮の中には溥儀専用の映画の部屋もあり、甘粕がお勧めの映画を届けていたそうです。溥儀を操ろうとする怪しい人物として描かれた「ラストエンペラー」とは違って、溥儀は甘粕を信頼していたようです。天津から脱出した時も、しばらくかくまっていたそうです。本当に溥儀を傀儡として利用しようとしたのは甘粕ではなかったわけです。

そして、戦後収容所を経て一市民になった溥儀の生活の取材もありました。
溥儀は収容所を出た後、周恩来首相によって北京植物園に職を得て庭師になりました。そして看護婦で18歳年下の李叔賢と結婚します。二人を紹介した仲人の奥さんが健在で取材に応じてくれました。二人が映った写真も多数。最初は溥儀の経済感覚の違いなど苦労も多かったようですが、ある時二人で故宮へ行ったそうです。そして閉じ込められるように生活していた時のことを話したそうです。それから互いの理解が進み、仲のいい夫婦になっていたということです。

私が李叔賢のことを知ったのは「火龍」という中国映画でした。「ラストエンペラー」の半年ほど前に日本で公開されたのですが、すぐに「ラストエンペラー」が公開されてヒットしたので、すっかり埋もれてしまいました。「ラストエンペラー」は終戦までの溥儀が重点的に描かれているのに対して、「火龍」は収容所を出てからの溥儀がメインです。李叔賢との出会いから結婚生活などが描かれていました。もっとも、当時は溥儀についてもあまり詳しいことは知らなかったのですが。

前半生で、溥儀はひたすら玉座を追い求めました。皇帝であること、清朝を復辟すること、それしか目標がなかった、その目標にしがみつくように満州国皇帝の座に座ってしまった。そこから一転して普通の一市民として暮らすことになり、妻と普通の市民の家庭を築いて睦まじく過ごして人生をまっとうしました。

取材を受けた人々は、そういった後半生の溥儀の人生をはっきりと肯定していました。溥儀の自伝「わが半生」にも前半生の自分を悔いる言葉が残されています。それは真実のものであったといいます。

おそらく、皇帝であった、あるいは皇帝であろうとしていた時の溥儀は自分のことしか考えていませんでした。しかし満州国の崩壊で皇帝に戻る望みが絶たれ、収容所で普通の人としての日常生活を覚えたことで、やはり本当に溥儀の心に変化が起こったのだと思います。

でも、溥儀について何か言おうとしたらやはり「わが半生」ぐらい読んでおくべきでしょうねえ。そこまで追求するつもりはないんですが、こういう番組を見たりするとやはり溥儀はどのような人物だったか考えてしまいます。なにしろ皇帝から一般人になって人生を全うした人は歴史上大変珍しいもので。


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