平成26年11月上旬、富山県旧山田村(高清水、深道、数納)の廃村への旅。
菅沼ルートを歩き始めて35分ほど、3kmぐらいの地点で、特徴がある直線道までたどり着きました。
「高清水に着いたかな」と思いながら路傍を見ると、コンクリの家屋の基礎が見当たりました。
道なりに右カーブを曲がってすぐ、左手に冬季分校跡の校舎の二階が見えた時には「つい来た!」と思いました。
鍋谷小学校深道分校高清水冬季分校は、へき地等級3級、児童数9名(S.34)、昭和34年開校、昭和42年閉校(閉村も同年)。
「村の記憶」によると、往時の高清水の戸数は4戸。これとは別に黒鉛鉱山(昭和41年閉山)の宿舎兼事務所があり、所在は先に見たコンクリの家屋の基礎あたりだったようです。
画像1:「高清水に着いたかな」と感じた特徴がある直線道
人の気配はまったくなく、シカやサルなどにも出会いませんでした。
画像2:「ついに来た!」 高清水冬季分校跡の木造校舎
「村の記憶」を読んで、その存在を知ってから15年。
残っているうちに来ることができました。
画像3: 高清水冬季分校跡の木造校舎
高清水に残っている建物は、冬季分校跡のみです。
(平成26年11月7日(金)午後12時〜12時10分頃)
ログインしてコメントを確認・投稿する