シンギュラリティ(技術的特異点)すなわち2045年問題っていうやつがある。
ようはAIが人間の知能を超えてしまうっていうのが、およそ今から25年後くらいという予測だ。
実際にチェスという世界では1990年ころ、将棋という限られた世界では2015年ころにAIが人間を超えたとされている。
そういえば2000年問題っていうのがかつてあった
今、考えてみると相当無邪気だったと思うけど・・・要はコンピュータのプログラム20世紀にしか対応していなくて2000年を越した瞬間にホストコンピュータが停止、そこに繋がる端末も動かなくなり、金融がストップし世界が大混乱するというものだった
いったいありゃ何だったのだ( ̄ー ̄)?
とは言え、当時、食の仕事に従事していたので真剣にライフラインとしての食料や水の確保に追われていた・・・沢山の商社の方々、問屋、小売り、流通に携わる方々、いやあれはあれでよかったと思うが・・・
まったく・・・ノストラダムス(デマ、噂、曲解)以上に現実っていうのは、人騒がせである。
と同時に人間っていうのは案外優秀だなって思った。
(ちゃんと20世紀に対応出来るようにずっと昔にプログラムを組んでいた対応しかり、有事に対する敏速な対応しかりだ)
そういえば、2〜3年前にタピオカブームってあったでしょ?
今、タピオカ屋ってあまり見なくなった。
ではタピオカがどうなっているか?というと今はタピオカ粉として新たな道を歩んでいる。
天ぷらがやけにサクサクになったなあと思ったらタピオカ粉が使われてるケースが多い。
そういうのをサプライチェーン・マネジメントというんだ
例えば、原油価格の高騰を抑えるため、政府は備蓄の放出をするという・・・それって結構すごいと思うのね。
そういうの聞くと人間って案外優秀だなと思うんだ。
さて、シンギュラリティに話は戻るが・・・例えば、チェスでも将棋でもAIに抜かれてしまったといわれても廃れるか?っていうとそんなことないでしょ?
それはなぜか?というと将棋にしてもチェスにしても醍醐味っていうのはゲームの勝ち負けにのみあるわけじゃないってことだと思うんだ。
つまり人間が抜かれたのは強さだけだという事だ。
例えば将棋の素晴らしさっていうのは、人間と人間が切磋琢磨して礼節を尽くし、優れた棋譜を未来に残すもことだと思うのね。
つまり、人間が作ったAIは恐ろしく強くはなれるけど文化は醸成できないと思うんだ。
いわゆる負けの美学とかね・・・・
朝もやの中、虹を見た。
降りしきる土砂降りの夜に虹を見た。
虹一つとっても人間っていう奴はよくわかっちゃいないのね。
ちょっと話は変わるけど・・・最近の電波天文学だとかなり微弱な電波も補足できるらしいんだ。その中には明らかに自然現象とは思えないものもあるらしくって・・・それこそ、AIを使えばかなりの確度でそれを解読できるらしい。
まさにコンピュータの始祖を作ったアラン・チューリングがナチス・ドイツのエニグマを解読したように。
だけど、そこは慎重に検討しやらないという話もある・・・
なぜか?コンピュータウイルスと一緒である。
なんかよくわからないメールを開いた瞬間にウィルスプログラムが動きだしたりとかね
その解読が人類滅亡のトリガーになるかもしれないからだ
非常に賢明だと思う。
(ちょっと手前味噌なんだけど、この写真はホテルの窓辺に置いてカメラ任せに長時間露光したものだ。
昔はさ、真夜中の被災地でも嬉々として出かけたもんだが、流石に歳には勝てない。弱さゆえの発想だ
)
君子危うきに近寄らずっていうのは、危機管理の基本である。
そういう話を聞くと人間って案外優秀だなって僕は思う。
僕は人間の賢さっていうのは弱さに起因思っている。
例えば、アラン・チューリングっていうのはホモセクシャルだった。
いわゆるマイノリティゆえの思慮深さがあったんだと思うのね。
そして信仰上のタブーでもある同性愛を、現代の人間というのは、受け入れようとする。
それこそが人間の素晴らしさだと思う。
いい換えるとすると、人間が神よりも優れている「かもしれない」点だ。
LGBT🏳
について言及した教義をもつ信仰は僕の知る限り存在しない。
弱いがゆえに信仰を生み出した。
神を敬い謙虚であろうと努力する。
弱いが故に石油を備蓄する・・・
禁断の実を食べ、エデンを追われた人間。
メシアはかつてカーペンターだった。
いいたいことはカーペンターはメシア(救世主)にもなれる。
だけど、カーペンターでい続ける事だって出来るという事だ。
スモール・フェイセズ♪
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