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2020年02月17日20:44

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ストロベリー・フィールズ・フォーエバー

先日、オーケストラ・ドウ・センダイのコンサートを見てきたわーい(嬉しい顔)
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このポスターを見て僕はまず葛飾北斎のこの作品を思い出した。
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そういえばこの飛沫のメロディは・・・そしてこの曲の構成は・・・あるいはフルオーケストラでこの低価格はいったい・・・と僕はあれこれとプロファイリングするのが好きで・・・そうやってモノを眺めている。
するといろんな事がわかってくる。
作品鑑賞の楽しみの一つであるわーい(嬉しい顔)

果たして、このポスターの作者の意図はだいたい僕の予想通りだったわーい(嬉しい顔)
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それはそれで嬉しいんだけど実際にコンサートを耳にして、新たな発見もあった。
ドビュッシーの海には和旋律の5音階が使われている事。
どことなく東洋的な響きはハ長調でいえばファとシの半音階が抜けた和旋律である。

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海が発表されたのが1905年だからヨーロッパはジャポニズムブームだったのだろう・・・
コンサートのハイライトはベートーベンの田園である。
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名曲だけど、何故この選曲なのか?

これはきっと津波の被災地に擬えているのだろう・・・
今、目の前に広がる広大な田園風景にはそうなる為の人々の苦労がある。
田園っていうのはほって置いて出来るものではない。

ベートーベンっていうのは一つのモチーフを何度も何度もリピートさせて楽曲を構築していく・・・それはべートーベンが極度の難聴だったことに起因していると僕はプロファイリングしている。

交響曲「運命」なんかはその典型だと思う。
あの冒頭の「ジャジャジャ〜ン♪」は音階を変え、執拗に何度も何度も繰り返される。
ほぼ「ジャジャジャ〜〜ン♪」だけで構成されているといって過言ではない。
耳が聞こえないベートーベンが頭の中で何度も何度も記憶としての音を反芻して作り上げてる姿が目に浮かぶ。
ベートーベンっていうのは障碍を見事に作風に昇華したんだとも思う。

僕はそんなベートーベンの姿と被災地の田園風景がダブり不覚にも泣けてしまった。

人が作るものには作品、成果物がそうある為の理由がある。
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それを考えるのがとても楽しい。
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それをするには自分が作り手だったらどうか?
或いはどんな風に作るか?
どんな気がするか?
そんな風に思ってみる。
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なぜこうなるのだろう?
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どうしてこうあるのだろう?
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そんな風に眺めてる。
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僕は子供の頃からビートルズに憧れていて、今も憧れている。
亡くなったジョンは僕より年下なんだけど、いつまでも兄貴のままだ。
僕はビートルズになりたかったのだわーい(嬉しい顔)
そしてビートルズには何でそうなるのか?何でそういう発想が思いつくのか?よくわからない作品がいっぱいあって、それを探るのは無茶苦茶面白い🤣

ああ・・・その手があったか・・・まだまだそこにも盲点があったか!と結構大人になってから気づいたこともあるわーい(嬉しい顔)

あの曲、僕が作った曲だったらどんなに素晴らしいんだろう?なんてこと、よく子供の頃思ったもんだ。
だいたいにして、初期から中期、後期、ソロまであんなに凄い曲を揃えているのはずるい!
ユー・ウォント・シー・ミーやアイル・ビー・バックあたりの小作品は別に僕のものでもいいんじゃないのかダッシュ(走り出す様)


オーケストラ・ドゥ・センダイ・・・フルオーケストラのコンサートで800円・・・これはもうチャリティコンサートだ。
そんな心意気にもグッとくる。

「不要な集会は避けるように」・・・きっと主催者も葛藤しただろうなあ・・・

それでもコンサートホールは満員だった。
大喝采、いつまでも鳴り止まない拍手。
そこにもきっと意味がある。
そうなる理由がある。

世界にはまだまだ知らない事がある。
だから僕は生き続けなくてはいけない。
ジョン・レノンの言葉だ。
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