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2017年06月01日23:53

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太田愛の小説作品:その5

 2作目の『幻夏』は過去の冤罪に起因する事件の解明の物語であるため、3部作の中でこれだけが3人組が追われる立場になりません。けれど核となる冤罪がもう終わってしまっているために3人組にもできることはほとんど残されておらず、悪しき因果が現在に波及するのを阻むのが精一杯です。1作目の『犯罪者』と比べたとき『幻夏』の特徴は極めて対照的です。3人組を阻むのは滝川のような死神めいた暗殺者ではなく、全てを誰にも届かぬ場所へ連れ去ってしまう過去なのです。つまり『幻夏』が次作のために準備しているのは『天上の葦』にとって都合の悪い滝川の影を抹消しつつ「手遅れになればもはや誰にもどうすることもできない」というメッセージを読者に刻み込むことなのです。このメッセージは3作目で正光が告げる「闘えるのは火が小さいうちだけ」という言葉と同じものであり、ある意味『幻夏』という作品はこの言葉を下支えする機能も持っていると見なせるのです。だからこそ『天上の葦』ではこれから始まろうとしている冤罪の阻止という『幻夏』のリベンジともいえる体裁をとっているわけで、最重要目標はなんとか達成できたものの完勝に至れなかった1作目から、気づいたときは既に手遅れでなにも成し得なかった2作目という流れは、次こそはより良き結末を迎えてほしいとの読者心理をかき立てる意図もあったものと思われます。
 そんな期待感の中で始まる3作目は、依頼人が1作目でいわば痛み分けた敵方の黒幕だった磯部という意表を突く人選ですが、1作目を知る読者の脳裏には当然ある種のフラッシュバックが生じます。するとこの3作目、謎解きに勤しむうちに3人組が追われる立場に回り、瀬戸内を舞台とする逃避行もあるという意外に似た展開になっていることにいやおうなく気づかされます。この繰り返しながらの変化という形態が音楽における形式そっくりなわけですが、これも2作目のみならず痛み分けに終わった1作目の再戦めいた印象をもたらすことに繋がっています。そこで滝川の代わりを勤めるのが公安という組織になるわけです。
 当然公安は頭から殺しにかかってくる滝川ほどヤバい相手ではありませんが、作者はその落差を埋めることに意を配った形跡があります。特に半田の存在は個人的な遺恨がそこに加わることで鑓水の逮捕や尋問の場面など暴力性をむき出しにしてもいるわけですが、これに比べると1作目での滝川の殺しの場面はずいぶん抑制されていて、目撃者4人はいずれも一撃で瞬時に片づけていますし、長時間の拷問の場でもあったはずの真崎殺しの場面には具体的な描写は全くなく、むしろ瀕死の真崎の奇妙な笑みが滝川の注意を引いた点に描写の比重がかけられています。この扱いも3作を通して読んだ上で振り返れば殺しの起こる1作目とそれが起きない3部作とのスリルの低下を避けるためのすり合わせでもあったように感じられるところで、であればやはり3部作構想は当初からあったのではという推論の傍証に数えていいのかもしれません。

 1作目での脅威の焦点が滝川という暗殺者の形を取っているのは、描かれる殺しが目撃者など生かしておけば都合の悪い個人を狙い撃ちするものだからです。それゆえ報道を沈黙させるという万人に影響する犯罪の下手人として彼は不適当だというのが、これまたおそらく2番目の理由に数えられるというのが僕の考えです。
 ならばフィナーレたる『天上の葦』で3人組を追跡する「犯罪者」がスリルや緊迫感が低下しかねない危険を犯してまで暗殺者から公安組織に変えられている最大の理由とはいかなるものか。次回はいよいよその点について述べてみたいと思います。


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