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2017年05月25日21:29

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外山滋比古の「新聞大学」を読んだ

外山滋比古の「新聞大学」扶桑社 去年11月刊 を読んだ。

毎日配達される新聞を大学と考えて、勉強するように説いている。

新聞はそろって日曜に書評欄を設けている。面白い書評にはあまりお目にかからない。書評に署名があるからだ。かつては無署名が普通だったが、今は肩書付きの名前がでる。そうすると著者への気兼ねもある。出版社への配慮もある。書評という仕事に魅力がないと思う人が多くなった。それで本名、肩書付きの書評が始まったらしい。それなら引き受けるという人がいるからだろう。

ある人は40年前、Timeの書評で名著に出会った。『パーキンソンの法則』で無署名だ。「この本は、ひょっとするとダーウイン以来の大著かもしれない」と書いてあった。イギリスのサッチアー首相はこの本によって「小さな政府」を考え、国有企業の民営化、大学の学費引き上げなどを断行したという。

外国の新聞は読者の投稿が優れている。イギリスの高級紙「ザ・タイムズ」の投書は社説と並んで同じページに載っている。おもしろいことを言うな、と思って読むと国務大臣だったりする。生活者のちょっとした発見を伝えるものもある。アメリカの「ニューヨーク・タイムズ」にもいい文がのる。

「文芸春秋」の巻末の「蓋棺録」は現在のところ最上の訃報ページだ。日刊紙には真似ができないかもしれないが、何とか新聞らしい訃報をなるべく多く載せてほしい。

新聞は普通、1紙だ。長く続けていると、客観しにくくなる。もう一つ余分にとるのがいい。京阪神、関西では併読紙を持つ読者がかなりいたらしい。そういうのを背景にして、日本のジャーナリズムはまず関西から展開した。

私は現在は朝日新聞と The Japan News (読売新聞の英語版)をとっている。


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