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2016年09月01日19:40

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『白星の魔女』第6話 〜アルデガン外伝8〜

第二の野営:川のほとりにて その一


「あれがそうなのか? アラード」
「ええ、あれがアーレスの裏を流れていた川のはずです」
 ボルドフの問いに答えつつ、丘に立つ若者は眼下を見つめた。遠い稜線からぎらつく陽光を放っていた巨大な西日は既に沈み、いまや東の果てまで伸びきった影が眼下の広野を閉ざそうとしていた。そんな中、北からはるかに蛇行してきた一本の川筋だけが夕映えを受け赤き燐光を返していた。あたかも黒き大地をつたう一筋の血の流れのごとく。
「ならばアーレスで見たあの地図の、ここが西の果てというわけだな。では今夜の宿はあの川のほとりだ」
 いうなり剛剣の師は馬首を巡らせ、白衣の司教グロスともども丘を下っていった。だが赤毛の剣士は街道に沿って西へ流れゆく血のような川を見やりつつ、僧院アーレスでの老師アルバの話を思い返していた。


−−−−−−−−−−


「地図を見ればわかるとおり、このアーレスの裏手を流れる川はかの火の山を水源とするものじゃ。水源の村から流れ出ておった河は溶岩で絶たれてしもうたが、この川のほうは長らえておる。つまり」
「火の山の崩壊は完全ではなかったといわれるのですか?」
 思わず口を挟んだアラードに頷き返すと、やつれた老修道士は言葉を続けた。
「尊師アールダもまみえることがかなわなんだ東の地に仇なす元凶たる吸血鬼。その脅威がなくなったとの確証をわしらは得るにいたっておらぬ。されど洞窟が崩れたいま火の山の探索はもはやかなわぬし、黒髪の民がイルの村を捨てたため吸血鬼の足が及ぶ範囲にもはや人は住んでおらぬ。次に近いのはこの僧院となるが一夜のうちにこれる距離ではないし、現にこの半年の間そやつはいっこうに現れぬ。この地でわしらにできることはもはやないと考える」
「岩の中で赤子の声で泣いておった、あれが元凶だったと老師は思われるのか?」「俺たちも聞いた。惑わしの力も感じたが」
 グロスやボルドフの問いかけに、アルバはかぶりを振った。
「断定は控えねばならぬが、かの邪法師めがあのような状態で生きておれた以上、尊師のいわれたような者はあそこにおらなんだのではないかと思う。邪法師はあそこで泣いておったものを支配下におき、邪法の探求の礎としておったのではあるまいかとな。さもなくば生き身の人間があのような術式を編み出せるとは考えにくい」
「それに根城を台無しにさせるようなまねを黙って見逃すはずもない……か」
 腕を組むボルドフにアルバは頷くと、古文書の後ろのしおりを挟んだ頁を開いた。
「残るは西じゃ。尊師が討ち漏らしたもう一体の吸血鬼。しかもこちらは尊師も直接まみえた相手じゃ」
「闇姫。千古の森を統べる魔性……」
 呟く赤毛の若者を、病み衰えた僧院長は見つめた。
「この東の地は尊師の時代から二百年余りを経たことで、すでに様相を変えるに至ったと見ねばなるまい。では西の地はいかなる状況か。誰かがそれを確かめねばならぬとて、解呪の技を持たぬことには近づくことさえかなわぬ。そなたたちの道行きが西へと向かうからには、その果てにかの妖姫の棲む闇の森に辿り着くはもとより必定。ゆえに挑まんとの決意と覚悟はまこと尊いが」
 肉の落ちた手が、若者の手を取った。
「この身がかような病を得たいま、そなたに万一のことがあれば人間族は吸血鬼に対抗する手だてを再び失う。相手は尊師にすら討てなんだ難物。ゆめゆめ深追いしてはならぬぞ」


−−−−−−−−−−


「来ぬのかアラード、魚が焼けるぞ」「あ、はい……」
 グロスの呼びかけにそう応じつつ、赤毛の若者は暮れる宵闇の下、大地に溶けゆく流れを見つめた。かつては吸血鬼が、そしてつい先頃までは邪悪な魔導師たちが暗躍していた呪わしき火の山から流れ出て、あたかも対を成す魔境をめざすかのような深紅の昏き川のひとすじ。それは後にしてきた東の地での恐るべき事態に勝るとも劣らぬ出来事が行く手に待ちかまえていることの予兆とさえ、若き剣士の目には映るのだった。

 にもかかわらず、アラードは視線を決意にて支えた。絶えゆく流れのはるか先、大地を覆う魔の森のとこしえの闇の中、黄金の髪と緑の瞳を持つというまだ見ぬ魔性の美姫の姿を幻視しつつ。それは彼にとって、単にアルデガンの外で初めてまみえる吸血鬼というに留まらぬものになりつつあった。古の魔法文明期より存在し続けるという魔性の姫のその顔に、赤毛の剣士は探し求めてきたリアの面影を重ねることしかできなかったのだから。
 尊師アールダすら姿を見ることがなかった東の地を荒らしたとされる吸血鬼。その存在をアラードたちは結局明らかにできず、赤子の声で泣いていたものを除けばいかなる吸血鬼の消息も得ることができなかった。そして何をおいても知らねばならぬはずのリアの足跡もまた。
 だからこそ彼は思ったのだ。最後に残った未踏の地たる西方でリアの消息が得られぬはずがないと。東の地での不首尾に終わった姿なき吸血鬼の探索は、残された未踏の西方を今も統べる吸血鬼の存在に自らの宿願を重ねさせずにおかず、もはや確信とさえ呼ぶべきものにまでそれは膨れ上がっていたのだから。

 ふと見れば、はや川の流れは闇に呑まれ焚き火の明かりだけが川面の一部を仄かに照らすばかりだった。ついに地図に記されたその先の地への入り口に自分はいるのだとの実感を胸に、若者もまた丘を下り始めた。不首尾に終わったと信じて疑わぬ呪わしき東の地の探索の折り、我が身とリアが互いにそれと知らぬまま、ほんの近くに居合わせたなどとは夢にも思うこともなく。


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