作品「童子空見れど(ドーシソラミレド)」
作品「美空(ミソラ)」
作品「それそれ!(ソレソレ)」
作品「童子ら見られし(ドーシラミラレシ)」
作品「ららら(ラララ)」
作品「どれどれ?それそれ!(ドレドレ、ソレソレ)」
これらの連作は植田正治さんの写真にインスパイアされている・・・
タイトルがそのままメロディになっているのだ
植田さんの写真は少ない情報なのだが余白が非常にリリカルなのだ・・・
僕の作るものは写真も含めて、癒しがないとよく言われる・・・
もし、ステュミラスで刺激に満ちているという意味ならそれはそれで嬉しいんだけど( ̄ー ̄)
なんでみんなそんなに癒し癒し言うんだろう( ̄ー ̄)
ちょっと気になり癒しというものを考察してみた
山の上に大好きなラーメン屋さんがある・・・
非常に透き通っていてはんなりとして・・・老人から子供まで愛されている・・・
老若男女を癒しているとも言えるかもしれないが、果たしてそうなのか?
水の甘味を感じる・・・
ふと思う・・・水は糖度がゼロであるから・・・厳密には水が甘いという事はあり得ない・・・
ちょっと専門的に分析すると・・・綺麗な天然の軟水はクラスターが小さくて、味蕾の上を滑らかに滑る。その程よい刺激が甘味に感じられるのだ
ぶん殴られる刺激は痛みであるが、愛情を持った優し気な摩擦は愛撫なのだ。
この辺りは僕が「イタミはチカラ」という根拠である・・・
ゆえに僕の作品は摩擦係数が高い・・・という事なのかもしれない。
もうちょっと「イヤシ」と「イタミ」の臨界点を考察する・・・
人間というのはその70パーセント(?)くらいが水であるから・・・やはり水辺というのは癒しのスポットである
水というのは非常に面白い性質があり・・・物質としてみるとその生息域は非常に限定的で、摂氏0℃〜100℃である・・・
このレンジは物質としてみると極めて狭い・・・
華氏471℃というトリュフォーの映画があったけど・・・紙の燃えだす温度は極めて高い。
高いと言ってもたかが知れてる。
太陽は表面6000℃、コロナは100万℃にも達する。
つまり生物というのは極めて限定的なレンジの中の、極小の目盛りの狭間で「イタミ」と「イヤシ」を知覚しているのだ
特に人類の思考は36℃から40℃くらいの極小のレンジの中にある。
「腹減った」「人はいかに生きるべきか?」「近所のスーパーのタイムセール何時からだっけ?」「相場の食いつき良くないなあ・・・」それら雑多な思考は全てその温度域で起こる。
イヤシの前提としてのイタミがあるという事かも知れない。
水は光を反射する・・・鏡としての性質がある。
また水は光を透過するという性質もある・・・
水の惑星・・・地球は青かった・・・ユーリ・ガガーリンの言葉・・・
それは地上で聞く僕らと、実際に宇宙空間から肉眼で眺めたユーリとでは感じていた刺激は全く別物だとも思う・・・
また癒しの水は多くの命を奪った・・・
とかくみんな「癒し」を求める時代であるが・・・「癒し」とは本来、病や痛みに使われる概念ではないだろうか?
病、痛、癒・・・全て「やまいだれ」だ
結論としてイタミある先にイヤシあり、って感じかな
?
それは水の生息域に生きる、恒温動物の極めて限定的な知覚の同一直線上にある感覚なのだ。
しかもそれらは不可逆なベクトルである。
こう見えて「分別」のある大人であるから、無闇矢鱈に「頑張れ」とは言わない。
だけど、基本的に水の生息域で起こる事は大丈夫だ。なんて思う。
やまいだれの中に蹲る先に、同じくやまいだれの癒しがきっとくる( ̄ー ̄)
そんな事考えた正月だ
さて・・・ここでビートルズ・・・ドント・レット・ミーダウン・・・
子供の頃この曲を聴いたときに「ド・レ・ミ・ダウン」に聴こえたのだ
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