mixiユーザー(id:1041518)

2015年10月22日17:55

320 view

のろのろ運転

ハイデッガーはあまり早く読んでしまうとふところ具合に関わるので、遅いのは構わないのだが、それにしても今読んでいる『時間概念の歴史への序説』は長くかかっている。遅いというより、エンコして止まっている時間のほうが多いからだ。「現象学」が主役の本は常に私の頭を混乱させる。とりわけフッサールが出てくると思考回路の回転が明らかに減速するのは生理的に合わないからだろうか。「志向性」「範疇的直感」「アプリオリ」だと進んできて、「現象」(プァイノメノン・φαινομενον)と「ロゴス・λογοσ」の本源的な意味は?などというところに差し掛かる頃には、机は木の葉っぱとだらけで、それらとにらめっこの日々だったのだ。

とはいえ、ハイデッガーの文章は読み始めると、他にはない快感をもたらすのも事実で少し前から多少速度を上げて読んでいる。気付けば、存在への問いという点で、フッサールの現象学は、真の問いとなり得てないと強烈に批判が始まった。そうか、こう来るのか。もうすぐ「準備部」というのが終るが、その批判を推進力にして「主要部」に突入するのだろう。同部分は『存在と時間』の下書きみたいなものという評判だが、それはそれなりに楽しめるかもしれない。

訳者のあとがきに、こんなことが書かれていた。ハイデッガーのリッケルト批判は熾烈だが、彼はフッサールのところへ行く前の師であった。ゲーテの言葉を借りてかつてフッサールは言ったという。「ひとがやっと抜け出した誤りにたいするほど厳しくなるものはない」。自己への鞭打ちも含まれているからだろう。苦労してタバコをやめた人が喫煙者に厳しいようなものか。しかし、ハイデッガーの舌鋒はフッサール批判でも相当だと思う。その時はまだ彼は師であったし、その後共同研究もしているのに。いやいや学的な異論があれば主張するのは当然だろうし、『存在と時間』に突き進んでいたことを思えば、そんなことに驚くこともないかもしれない。




3 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2015年10月>
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

最近の日記