言いたい事はいっぱいあるんだけど・・・まあ基本的に二律背反或いは、似て非なるもの、そして・・・まあ、「世界は見方次第」という事・・・
まず・・・「手段」と「目的」という事だ。
前提として「戦争」と「平和」・・・これはよくみんな勘違いして恰も対立概念のように捉えてるけど・・・
「平和」というのは状態の事であり「戦争」とは主に行為だからそれは正しくない。
「平和」という概念に対立するのは「混乱」或いは「無秩序」という事だと思う・・・
「目的」は人殺しや破壊ではなく、「平和」とすれば、少々乱暴であるがそれは外交「手段」と捉える事すら出来る・・・
次に「法律」・・・これは目的は「統治」まあ「治安」と位置付ける事も出来る・・・
その「治安」つまり安全をもたらすための交通標識のようなものが混乱をきたしているのは承知している・・・
ただ、いずれにしろ・・・それは目的ではないだろ?
勿論・・・それに対して思う事もあるけど・・・
まず、有事を想定させない「状態」を作り上げる事が大事。
僕はあんな「手段」ごときが大和魂を傷つけるほど「大和魂」あるいは「和の心」とはやわじゃないと思っているけど・・・まあ・・・やわではなくてしなやかってことかな・・・
それでもディスられた気分でいるなら・・・
「手段」はいくらでもある・・・
とりあえず動くんだ・・・モニターに噛り付いていても自分の中のイノセンスが拗れるだけだ。
知識じゃ世界は変わらない・・・再三言うように・・・僕が写真に強いこだわりをもつのは・・・写真という表現は現場に行かないと出来ないから・・・
さて・・・ここからが本当に言いたい事・・・
「生」と「死」だ・・・
これも正確には対立概念ではなくて・・・「生」という継続性の中にあって「死」というのは一点であるから・・・
「生きている」という事の反対は「生きていない」という事なんだろう・・・
「セフィロトの樹」を知っているだろうか?
まあ・・・聖書やエヴァンゲリオンとか詳しい人なら反応もあるだろうけど・・・
アダムとイブが知恵の樹から木の実を食べてエデンを追放されたとされるけど・・・
実は「知恵」をつけた人類・・・が「セフィロトの樹」つまり「生命の樹」の木の実を食べ、神と同様、永遠の生命を得る事を神が恐れてエデンを追放したとされる。
エヴァンゲリオンの中に「人類補完計画」っていうわけのわからないのが出てきて・・・要は群生する人類をまた一つの生物のように纏めようというものなんだけど・・・
それはそれとして・・・
今、僕は過去に撮った写真を纏めようとして・・・つまり系統だてて過去に遡る行為をしていて・・・
ふと気づいた・・・
「死」が出てこない・・・まあ「エバーグリーン」なんて気障な言い方もあるんだけど・・・
家系図というのを想起して欲しい・・・これは自分の祖先のある一点をスタートラインとし枝分かれし・・・枝は死とともに止まる・・・
ところが、現時点・・・つまり、今、現時点から遡っていくと・・・僕の両親、両方の祖父母・・・って具合に一切「死」が出てこない・・・
永遠に枝が途切れる事がない・・・過去へ繋がる樹形図がずっと続く。
よく言われる「英霊」じつは「英霊」ってやつは突然存在しない。
さらにずっと向こうまで、「英霊」を生み出す水脈が続く・・・
もし「大和魂」みたいなもの・・・それは「フロンティア・スピリッツ」でもなんでもいいんだけど・・・エターナリティとかいうもの・・・そんなものがあるとしたら・・・そういう事なんじゃないかなあ・・・
よく、未来へ・・・とか前へ進め・・・とか言うけど・・・別に後ろ向いて後方に進めばそれは傍から見りゃあ前進だからね・・・
MJのムーンウォークみたいだ
まあ・・・詭弁かもしれない・・・でも結局、僕は世界とは自分次第だと思っているよ・・・
初めて革細工をやってみた・・・ないものは自分で作る・・・
「手段」はなんだっていい。「目的」の場所に行きつけば・・・
エデンで思い出した・・・・ETBG!!
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