「…俺が今何を言ってるか 意味わかる?…」(古谷実「ヒメアノール」)能町みね子の「結婚の奴」を読んだ。この人の文章や語り口等のセンスのよさは好きであることを前提とした上で、もやもやした部分があったので少し書く。なんていうかこの人、他人のこと
「財産や名声を持たない人間にとって『集団への帰属』が不安を抑えるための 支えとなった。個人的には無に等しくても、自分の属している集団が、 同じような他の集団よりも優れていると感じることができれば、 それを誇ることができた。」エーリッヒ・フロ
人間には返報性という習性があるから、自分を好きな人を好きになることは比較的容易いし、自分のことを嫌っている人はこちらも嫌いになりがちだ。だから、「自分のことを嫌いだという理由で人を嫌いにならないようにする」ということを肝に銘じておきたいなと
毎年の恒例行事(にしたいと思っている)である第九のコンサートに今年も行ってきた。約1時間もあると曲のすべてを覚えきれないため、何度も聴いているはずなのに聴くたびに「こんなとこあったのか」という新鮮な驚きを感じる。今回は特に第三楽章がよかった
今更ながら気づいたのだが、「戦争を終わらせるためには広島・長崎への原爆投下は仕方なかった」というのはまさにオジマンディアスの論理であり、ウォッチメンは思っていたよりももっと原爆の話だったのだな。
昔のタマフルでやっていたマッドマックス特集をyoutubeで何気なく聴いた。この人たち、なんて楽しそうなんだろう。普段生活をしていると、どうしてもその生活の中心となっている一つの価値観に縛られがちだ。一方向で、定量的な価値観。みなその方向を向いて
「酒はいい奴である。酒自体には罪は一切ない。 付き合い方をまちがうと僕のようになってしまうのだ。」 (中島らも「アマニタ・パンセリナ」)ひょんなことから、アルコール依存症の自助グループ、アルコホリックアノニマス(AA)
「ザ・ノンフィクション 女32歳 きょうからプロレスラー 〜 父への告白 〜」他者を理解するということは、責任の解除を伴う、というのは岸政彦の言葉だ。パートナーに暴力をふるう、というような加害者にでさえ、よく話を聞いてみればその人なりの事情と合理
山野一を追っかけたくなって、パンゲア、ヒヤパカ、ねこぢるのいくつか、そせじを読む。昔の作品はもちろんよいのだが、意外にも、そせじがとてもいい(自分がそう感じると思っていなかったという意味での意外)。今はtwitterをフォローしている。双子の話題
先週、社会学者である岸政彦の公開講座を聴講した。生活史=行為選択の連鎖。マイノリティはネガティブな選択を日々迫られている一方で、マジョリティは行為選択を免除されている。一般化は暴力であるが、「」に入れる(=個別事象として切り捨てる)こともま
「聞き慣れない言葉なのに、誰もが瞬時に意味が分かって、登場人物たちを取り巻く環境や心情までをも勝手に想像してしまう。コピーライティングとしても素晴らしい一言である。〜中略〜新しい彼氏はフェスではしゃがないし、余裕があって大人だし、映画を見て
こんまりのオンラインストアで音叉とクリスタルが75ドルで販売されていて、知らぬ間にすごい彼岸に到達してしまったなと思ったが、よく考えれば出てきた瞬間からスピだった彼女を勝手に「整理術」のカテゴリで捉えていた私がズレていただけだったわけだ。ズレ
ジョーカーの考えは「丸山眞男をひっぱたきたい」に通じる。あの本に寄せられた有識者方の「正論」、その気が遠くなる話通じなさに絶望した感覚。それが今も続いている。
ジョンウィックパラベラムとジョーカーを続けて観賞。直後の今、ジョーカーに持ってかれてるのは致し方ないが、ジョンウィックも最高だったぞ。
「『生きることなんて 召し使いにまかせろ』とリラダンは言ったわ そのとおりね でも 現実には あたしが召し使いなんだわ 生きるって めんどうね」(岡崎京子「でっかい恋のメロディ」)―人から軽んじられる、舐められる、ばかにされる…そういう位置
https://youtu.be/FDFQTCRxOR8産業医面談の問診票に、「周囲の人が皆自分を嫌っていると感じる」というチェック項目がある。「毎日」「週5日以上」「2-3日」「全くない」から選ぶ、といった具合だ。受けるたびに違う回答をしている気がするのだが、それはその
「政治的な話題に言及しはじめた人間が、ほぼ必ず偏狭になることに、私はかなり強い忌避感を持っていて、だから、時に、政治という話題そのものを無効化したくなる気持ちを抑えがたくなる。」(小田嶋隆「場末の文体論」)ここしばらく政治絡みの話題で気にな
仕事を早めに切り上げることができたので、夕方靖国神社に参拝に行った。その後、東京駅の崎陽軒BARでシウマイとビールで一人晩酌してから帰った。平和な一日だった。
「友よ 嘆くことはない 一年は 始まったり終わったりするものではない 時間はただただ流れて行くもので 蓄積することはないし折り重なって物質化することもない だから 友よ なにも 恐れることはない 君の人生は 武田鉄矢が暗示するような基礎工事
「サワタリくんを見てると、両親に大事にされて育ったのがよくわかる」と言われたことがある。ほんとにそうだよなと自分でも思う。振り返ってみても、当時の感覚としても、わたしは大事に、愛されて育った。思えば、少し間違えば道を踏み外す(ニュートラルな