mixiユーザー(id:806141)

2019年08月11日20:24

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イデオクラシー



「サワタリくんを見てると、両親に大事にされて育ったのがよくわかる」と言われたことがある。

ほんとにそうだよなと自分でも思う。振り返ってみても、当時の感覚としても、わたしは大事に、愛されて育った。思えば、少し間違えば道を踏み外す(ニュートラルな言い方をすれば、全く違う道に行く)可能性もあったが、結果的にそうならずに済んでいるのは両親、および周囲の方々の尽力、そして幾ばくかの運によるものだ。考えれば考えるほど、「自分の力」によることが皆無であることに愕然とする。

学力を自分の力だと思っていた時期もあった。しかし、知能指数は遺伝要素による影響が大半を占めることが明らかになっており、そこに両親の経済力という環境要因が揃っただけの話で、「受験勉強頑張りました」なんていうのは+αでしかない。強いて言うなら、本当に頑張ったと言いたいならせめて親の偏差値超えてから、という話だ。だから自分にそんなことを言う資格はない。大学までの下地によって得られ得る就職以降のうんぬんに関しても同様である。

それなのに、一人で育ちました、そしてここに立ってます、という顔をしている自分。
それなのに、自らを基準に世の中を上下に分ける自分。
そして、下を見て初めて安心する自分。

厭世気取ってんじゃねえ。すがりついてるくせに。愛なんてなくて、あるのは遺伝子だけだ。怖い。どうすればいい。誰も教えてなんてくれない。従えばいい。
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