堂本剛は歌がうまい、ということを否定する気はないが、日本で一番とかそういった特別な修飾をつけるのはさすがに言い過ぎだ、ということは多くの方の思うところだろう。そういう相対化が大事だな、と思った。「特別」という感覚の多くは錯覚であると思った方
「ザ・ノンフィクション」2015年11月1日。長尾幸子さんのエピソードがとても印象に残っていた回。なかなか動画が見つからず「雀荘」「甚句」などのワードで検索したりして探していたのだが、先日偶然発見し、備忘として残しておく。
「世界は ひとつじゃない ああ そのまま ばらばらのまま ぼくらは ひとつになれない そのまま どこかにいこう」 (星野源「ばらばら」)最近twitterなども少し覗くようになって感じるのは、世界は自分が思っていたよりもずっと広く、幅
最近、映画を観たり音楽を聴いたりすると「あのアーティストのあの曲に似ている」とか「あの映画のあの場面に-」と思うことが多くなった。別にパクリを指摘したいわけでもなんでもないのだが、他の作品によってでしかその作品を語れないのは少しさびしい感じ
我々の考えの根底には因果律が根付いているが、物理法則のようなものを除いて、因果律は成立しない。それらが成立すると信じることが「信仰」なのだとすると、多くの人は信仰を持っているということになるだろう。それがある種のコントロールに用いられている
愛の反対は無関心、というより、憎しみの反対は無関心、という方がいいんじゃないかなと思った。愛であふれた世界より、憎しみのない世界を望む。