平成31年2月上旬、道東の廃村探索、3日目、上古潭(うえんこたん)からは八十士(やそし)に向かうにあたっては、中立牛、紋別市街から向かうルートもあったが、「もう一度鴻之舞を見ておきたい」ということで、来た道を戻ることにした。後で調べたところ、上
平成31年2月上旬、道東の廃村探索、3日目、当初の計画では上鴻之舞からは来た道を戻り八十士(やそし)に向かう予定だったが、上鴻之舞地内、上古潭(うえんこたん)へと分岐する道道(137号 遠軽雄武線)のゲートは、思いがけないことに開いていた。「これは
平成31年2月上旬、道東の廃村探索、3日目、鴻之舞旭町から道道を4�劼曚豹覆爐函⊂綛稠敬顱覆�みこうのまい)という集落跡がある。主には農山村集落だが、地内に昭和区という鉱山関係の区画があったため、「廃村千選」では鉱山関係の集落としている。往時の昭
平成31年2月上旬、道東の廃村探索、3日目、鴻之舞ゴーストタウンの探索、「鉱山慰霊碑」、小学校跡がある元町では他に「元町跡 紋別鴻友会」の案内板、「大山祇神社」の石柱が見られた。紋別鴻友会の案内板は、平成元年に見たものと同じ形であり、なつかしさ
平成31年2月上旬、道東の廃村探索、3日目、鴻之舞ゴーストタウンの探索、「鉱山慰霊碑」に続いては、すぐ隣にある小学校跡を探索した。鴻之舞小学校はへき地等級1級、児童数1171名(S.34)、大正7年開校、昭和48年閉校。道道沿いには小学校・中学校それぞれ
平成31年2月上旬、道東の廃村探索、3日目、午後の部は紋別市のかつて金山の里として栄えた鴻之舞(こうのまい)を中心とする行程を立てた。鴻之舞は紋別市街から28�辧∩�鼈(もべつ)川上流域にある。鴻之舞金山は、財閥 住友の手で大正6年から稼働、昭和30年
平成31年2月上旬、道東の廃村探索、3日目、上藻別地内、かつての桜町には、駅逓跡の建物が保存されている。駅逓(えきてい)とは、馬が交通手段だった頃の運輸・通信・宿泊の拠点で、上藻別駅逓は大正15年から昭和15年まで稼働。その後、旅館、住宅として存続
平成31年2月上旬、道東の廃村探索、3日目、昼食休みと流氷観察を終えて、オムサロ原生花園を出発したのは正午頃。紋別市街は通過し、元紋別から藻鼈川沿いの道道をさかのぼると、やがて上藻別(かみもべつ)という高度過疎集落(4戸残る)にたどり着いた。上
平成31年亥年、3度目の廃村探索、山梨県の廃村に行ってきました。訪ねた廃村は、山梨県身延町折門(御弟子、上折門)、廃校廃村でカウントすると、再訪1か所です。静岡県富士市在住の大学時代からの友人(田中義信さん)と二人で出かけました。上折門は、ムッ
平成31年2月、オホーツク海沿岸縦走ツーリング以来 30年ぶりに紋別を訪ねた。どんな町だったか覚えていないし、その意味では初めて訪ねた町と大差はない。それでも、30年前に鴻之舞を訪ねた記憶があることで、ずいぶんなじみやすかった感じがする。紋別で入っ
平成元年8月、稚内からオホーツク海沿岸を、サロマ湖畔までカタナ750で走ったことがある。途中、猿払村猿骨開拓で、開拓農家の廃屋を見つけて写真を撮った。浜頓別、枝幸、雄武、興部あたり淡々と南東方向に走ったが、紋別で内陸方面に引力が働き、鴻之舞を経
おはようございます。昭和48年7月発行の時刻表を見ていると、ふと稚内からオホーツク海沿岸を縦貫する鉄道に乗ると、どこまで行けるか気になりました。結果、稚内を始発で出たら、天北線、興浜北線、バス、興浜南線、名寄本線、湧網線、釧網本線と乗り継いで
2月上旬に取材を受けたNHK総合「ナビゲーション」(東海北陸7県ローカル)、本日(3月15日(金))19:30〜19:55、愛知県と福井県でオンエアされます。日曜日(3月17日)8:00〜8:25、再放送枠で、愛知県、福井県に加えて岐阜県、三重県、富山県、石川県でオン
平成31年2月上旬、道東の廃村探索、3日目、午前の部 最後の目標、オタッペの探索、田中さんは昨夏、朝日小学校跡まで行かれたが、その先の最終人家までは行かれていない。「せっかくだから見ていきましょう」という私の声に応えていただき、足を運ぶと大きな
平成31年2月上旬、道東の廃村探索、3日目、午前の部 最後の目標、農山村の高度過疎集落(2戸残る)興部町オタッペには、一度興部市街に出てから向かった。道は手前3�劼曚匹�らダートになるというが、雪が積もっているためはっきりとはわからない。行政区でい
平成31年2月上旬、道東の廃村探索、3日目、中興部(なかおこっぺ)には、かつてJR名寄本線の駅があった名寄本線の廃止は平成元年5月だから、2年余りJRとして運行されていたことになる。中興部駅跡には木造の駅舎が残っていたが、近くの旧駅員官舎に住まれ
平成31年2月上旬、道東の廃村探索、3日目、続いて、かつて駅があった農山村の高度過疎集落(6戸残る、学校跡周辺には2戸残る)中興部(なかおこっぺ)を訪ねた。国道239号には「中興部市街 1�辧廚箸いι玄┐�あって、田中さんと私の間で「「中興部市街跡」に
2月上旬に取材を受けたNHK総合「ナビゲーション」(東海北陸7県ローカル)、番組の予告編が上がりましたので、お知らせします。 http://www4.nhk.or.jp/P2807/x/2019-03-15/21/39436/8331892/オンエアは、基本3月15日(金)19:30〜19:55(本編)と3月17日(
平成31年2月上旬、道東の廃村探索、3日目、西興部ゲストハウス「GA. KOPPER」を出発したのは朝8時45分。まず、西興部村内、戦後開拓の廃村(1戸残る)忍路子開拓(おしょろっこかいたく)へ向かう。忍路子小学校はへき地等級2級、児童数30名(S.34)、昭和26
忙中猫あり(=^_^=)画像は鹿児島市桜島 浦之前港で、新島に渡る前に見たのらやんです。犬と対峙しているため、戦闘モードです。 (2019年1月13日(日)午前9時40分頃)
平成31年2月上旬、道北の廃村探索、2日目、雄信内駅発名寄行ローカル汽車(1両編成)は、定刻通り12時7分に出発した。往路で思いついた廃村 神路(かみじ)の通過の特定、佐久駅に到着する前あたりから運転席の横に陣取って、緩衝材を床に置いて、膝をついて
平成31年2月上旬、道北の廃村探索、2日目、駅前廃村 雄信内(おのっぷない)の探索、余った時間は駅で過ごしたが,通過予定の特急 宗谷は,大幅な遅れのため来なかった。12時6分、定刻通り名寄行きローカル汽車は雄信内駅に到着した。2時間弱の雄信内の探索で
平成31年2月上旬、道北の廃村探索、2日目、駅前廃村 雄信内(おのっぷない)の探索、学校跡から駅前に戻り、駅を背にして左に曲がると、大ききめの農業用倉庫が建っていた。中をうかがうとガランとしていたが、ふだんは干し草が置かれている様子だった。上雄
平成31年2月上旬、道北の廃村探索、2日目、駅前廃村 雄信内(おのっぷない)の探索、学校跡は駅から700mほど、道道(256号豊富遠別線)のT字路を右方向に曲がった場所にある。雄信内小学校はへき地等級1級、児童数61名(S.34)、昭和12年開校、昭和57年閉校
平成31年2月上旬、道北の廃村探索、2日目、駅前廃村 雄信内(おのっぷない)の探索、商店跡の建物を過ぎ、学校跡を目指す。道の右手に、鐘のない火の見やぐらがそびえている。駅から5分ほど歩くと、道道(256号豊富遠別線)のT字路に着く。学校跡は右方向だ
平成31年2月上旬、道北の廃村探索、2日目、駅前廃村 雄信内(おのっぷない)の探索、何もない駅前通りを右に曲がると商店跡の建物があったが,その前には雪の壁ができていた。駅前通りを左に曲がると、上雄信内(タンタシャモナイ、2戸在住)へ向かう道となる
平成31年2月上旬、道北の廃村探索、2日目、稚内行きローカル汽車は、朝10時10分雄信内(おのっぷない)駅を出発した。次の上りの名寄行きは12時7分発なのだが、「列車を使っての雄信内の探索は、この便を使う以外にない」と考えた。雄信内は、「日本唯一の駅
平成31年2月上旬、道北の廃村探索、2日目、音威子府の一つ先、筬島(おさしま)−佐久間では乗客が4名になったので、運転席の横に陣取って前方から風景を楽しんだ。筬島−佐久間(距離18�辧⊇衢彁�間20分)の真ん中にはかつて神路(かみじ)という駅があり、
昨日は妻の誕生日だったので、浦和のホテルで食事会をした。浦和駅で降りるのは今年初めて。というか、この前いつ降りたか記憶にない。西口正面に建っていた浦和うなこちゃんの石像が、見当たらなくなっていた。「撤去されたのか」と心配したが、伊勢丹・コル