社会的な経済的諸関係における、したがう、言うことをきく、あたりを廃絶した辺りにその人生があったり、否定を美学的な言語的牢屋によって、つくりだし、(あるいは、政治的なもの。)マウンティングさせない、反体制的な身振りについて。全否定、めんどくさい
「星撮り絵図」 美しいものに取り巻かれていた 星は戻り ワープは消され 消しゴムの滓は檻を抜け出して 少年が囚われのまま会釈する火曜日 君は禁断の果実をすっぺえと あの坂道で転ぶ二秒前だ
「音色のホント」音色のホント 計画的な星の行方に散らばらせた足取りで本をばら撒く真実みたいにこちらを見ながら 「天国の階段」哲学的な地上を離れ肉体の真実に忠実に いわば階段を破壊して下から快楽を迎えた天使的な状態快楽は地上を離れ天国の階段を
「まほろば」 あの通りに 下落した真実として 登壇した 噂話の廊下の擦れ違い 結果 勉強した ことは雲の流れのみだった わたしは 誰もいない 携帯すらない いわば 1992年あたりの どうしょうもない 空間で ずっとはぐれた勉強の仕方を
「詩を忘れたみたいだ」誰からも見られてない安心感がある君はポケットから詩集を出し詩集に耽る誰からも見られてないから誰よりも美しくなり美しさを知っている者は孤独なのだとひかりながら過ちは過去の日記帳今はもうないそんな風景に音楽が鳴りながらすっ
「そこに座っていた」そこに座っていたそこに座って時を過ごしていた夜の雲は小説の中速く 速く 青白く青春の中学生を彩ってあの 街の輝きの淘汰された者たち人生を棒に振るようななんでもない一曲に走り書きするそこに座って時を過ごしていた東京の時空を換
アカデミズムの抱擁についてセールと生気論か。しかし、ミシェル・セールの『作家、学者、哲学者は世界を旅する』でのプルースト論は港千尋の『記憶』につなげると、いいのではないか。たんに、幼年時代ではなく、わたしがうまれる、前の、過去にモノ、物に
アゴラ、と、いうのは、いかに、重要であるかが、わかるな。あと、ソクラテス、そして、その名を冠した、『ソクラテスのカフェ』マルク・ソーテ。相互包摂と、言語の母体回帰性、は、幹-形而上学の発生する、場所、なのかも知れないな。空間と母体 ということ
真理を語っているのに、地位がないから、と、その真実を否定するのなら、階級的誤謬に陥っている。社会における階級が真実を捻じ曲げ、歪めているのなら、きちんと真実に即して、階級的誤謬に陥らないようにしなければならない。
タレントさんって、言葉まで、含んだイメージの分配なのかな。そのことで、個人の芸術すら、決まってくるようなもの。写真の意味って、あとから、意味が、でてくるんだね。撮ってる時は、わからないんだけど、あとから、深い意味になったりしている。ふしぎだ
なんか、徹底的に、港千尋さん、本、読んだりして、小さな旅して、ひたすら、美術としての、写真、を、撮りたいな。港千尋さんの『記憶』は、サントリー学芸賞をとられた本だけれども、あれで、タルボットに出会ったりしているから、横浜美術館で、タルボット
エロスって、持続的な生命のまだみえぬ、存在可能性の霊的な場のゆらめき、かも、知れないね。 まだ、みぬ命が、未来的に、確率的にうごいている。女体におけるエロスとは、身体的には、ね。新しい命が、みえない形で存在しようとうごめいている、確率的なあ
大人の階段の秘密なぜ、そんな職業に、なんで、そんな、会社についたのか、入ったのか、問題だけど基本的には、やむにやまれぬ事情と、いう、経済的な問題があって、そうなった、という選択がある場合が、あるので、堕落させられた、職業が賤しいと
なんか、アイドルグループの応援アカウント、として、きて、実は、アプリの宣伝のために、運営しているアカウントだと、見破れてしまった。そういった営業があるのだろうな。笑。 わかってしまうね。笑。 同じパターンが、二つ、あったから、 営業だと、
夢を見ているようだ 踊りを踊って ダンサーとして ずっとご飯を食べてきたんだよ 資本主義 君は彼女の人生について いくばくかの詩を書くべきではないのかい? だって 彼女は 存在することで尊いのだよ 多くの哀れな男たちにとっては 光
演説貨幣の外部に立ったとしよう。そこでは、隠蔽された差別が横行し、もめごとが合理的におさまらず、経済による統治がなくなった、いわゆる、「おもしろくない貨幣の外」で貨幣の外部、そんなものは、昔あった、貨幣なんか、なかったからね。今、とら
権力のない場所 小さな革命の時々について お金持ちの人が、持っている偉さがあったとしたら、お金によって、人を使って、または、客としてサービスを受ける総体によって、その存在がその自由度の使う側であることの総体によって、「偉い」になって
「母性的な政治性について。」人間って、おもしろい、もので、いくら批判した所で、本当に生活できなくなると、資本主義的になるし、ならないと、暮らせないから、ね。あまったれたこと言ってないで、とにかく、稼げ、に、精神的には、なりますね。なので、生
メモ。名を得ることは、名を持ち、社会性を浴びて、混乱をすることも、起こりうる。名をめぐった戦争が、別の言い方をすれば、混乱が、おきる。異語は禁止なのだろうか?決められたように動いて?自由なる主体性はあるが、或る程度の予定調和はあるかも知れ
建築の詩学、建築論の詩学、グレアム・ハーマンと事物詩のフランシス・ポンジュを照らし合わせて、論じた、事物の>への着目とか研究できるかも、知れない。「個々の事物は、汲み尽くすことのできない余剰を抱えている」(ハーマン)は、詩である気がしてなら
物質的契機、といった意味で、ヘーゲルの転倒とした時、物質的蜂起とでもいったものは、世界精神によらない、とかかな。なんかストラザーンのモノの議論で、プロセスとしての彫琢していく、社会科学という私の中の物質を基礎とした革命がまた顔を出して来た。
れ音ちゃんで短歌を書きました。midoれ音さん過激続落ミファソラシ上がり下がりて雨のひらがなれいんぼうにじのかいだんぼうけんのはじまりつげるくもまよはれてモデルさんれ音ちゃんなら街角の姉のカメラでふざけて撮るかうたごえの英語の歌詞の動画にてれ
そんなこと快楽にひなだんかけざんひきざんわりざんさんざんかんかん快楽におぼれているのぴんくの体にさいりうむのちゃーじ物質だけに還元しないでたましいからふるえて 女の子がちくわが好き、 とツイートしていました。 そして、書いたもの。 ちくわ
多分、そんな感じかな。 あっ、依存、について、だけど、 わかってしまったな。 なるほど。 だんだん、わかるように、なってきた。笑。 女子にとっては、 「離れられる」が場所的に 存在論的にさびしいから、「依存」しないようにして、 逃げて、
メモ。しかし、まぁ、夢想家が社会に適応できないで物語にばかり生きてなんの罪もない場合経済が追ってこない、とか、そんな美しい社会はあるのかね。 肉体の詩は 労働者のものである。 善意で敗北しても 善意であり続けて、 書く存在が、詩人である。
肉体と真実 赤くなり 廊下でおどる 真夜中の いつかなくなる まぼろしあかり 夜のこと かくれかくれて 夜のごと わたし逃げてる なんて人生 まさかのね しあわせ来たら 現実か なんてとまどい ありはしないか なにもない なんてこと
人間の前に進む姿調停役としての、建築論、が、ミシェル・セールの『幾何学の起源』には、ある気がする。セールが、うまく説明してくれていた。足跡も標識もない土地 で。その土地、奇妙な土地について、私はかんがえていたけど、セールが書いていてくれて
広報=社会広報、社会、シンボリックなもの。資本を投下して、場所を借りてはい、有名な人のできあがり、みたいなメジャーな回路は、面白いね。ソール・ライター、とか、2回めの作品展になるらしいけど、来場者数が、見こめるんだろう。有名人の作られ方は
「天使を受ける」久しぶりだねと挨拶する遊園地から挨拶する明後日のまどろみそめたあかつき月の下青い樹木の告白と前世紀を見上げた静かに瞼を閉じたら未来みたいあのコーヒーカップや落下傘ジェットコースターの折り紙よ