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日記一覧

PTAの役員会が行われました。副会長さんが、当日から学校にいる、私に対する謝辞を述べられました。謝辞を言われるほどのことはない、俺が気楽なタイプの人間やから、家族よりも学校が好きなタイプやからおるだけや、と、笑わせました。地震当日からのあれこ

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今朝、早朝の「室崎先生のお話し」聞かれたでしょうか。私は、ふとんの中で泣きました。とりわけ大学生がいてもたってもおられなくて、応援に行ったけど、場所がなくて被災地におられなかったこと。では、潰れた家の調査に行こう。亡くなった人の調査に行こう

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私が毎朝聞いている、NHKラジオ深夜便。第一放送です。明日、1月30日、午前4時から、私が敬愛しています、元・神戸大学教授、兵庫県立大学防災教育センター長。もっと昔は、総務省消防庁で、研究の大将(笑)だった室崎益輝さんが、「明日へのことば」と

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「終戦後」という言葉が、もう若者には伝わらないのですよ、と校長先生に言いました。校長先生は、昭和10年生まれ。当時60歳。私は昭和21年生まれ、当時48歳。生きるためのものは、ほとんど何もなくて、ただひたすら、配給物資に頼る人生でした。パン

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もらい風呂。
2016年01月27日20:48

若い人は、ご存知ないでしょうが、我々の若い頃は、すなわち昭和30年ぐらいまでは「もらい風呂」という仕組みがありました。風呂のない方々が、近所の風呂のある家に入りに行くことであります。たくさんの子どもを連れて風呂に入り、こたつの周りで、湯上り

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私や、校長先生のため息です。大阪の親戚に行ってきました、明石の友達の家に行ってきました。と言って、風呂に入ってきた方々は、顔色や体の雰囲気が違いました。「入浴」は、人間を変えます。避難所の皆さんに、風呂に入って頂けなかったことは、返すがえす

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釜や食材はどうか。
2016年01月25日21:23

せっかくの機会ですので、自衛隊の皆さんに聞きました。料理器具やら食材を、日本中から神戸に運んで、応援してくれてはどうか!彼らが言うのには、この地震のひどさが中央に伝わっていないでしょう。釜でも食材でも、東北やら北海道やら九州の部隊を総結集し

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池から水を運んで下さったお礼のお茶会を校長室で行いました。校長先生が言われました。「校庭に風呂が作れないもんですかねえ」いくつかの避難所で、自衛隊の風呂があることを私は校長先生に報告していました。「風呂はねえ、あまり数がないのですよ。こんな

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自衛隊の底力。
2016年01月23日22:27

トイレの排水に使っていたプールの水が少なくなってきました。水道局に頼もう、という案も出ましたが、なんぼなんでも、そりゃ無理やでということになり、思案を重ねました。校長先生が、「そうや、深田池はどうや」と、提案されました。学校から、北東400

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夕方、30歳位ぐらいの男の方が、ポケットに500円しかありません。泊めて頂けますか、と、来られました。どうぞどうぞと、比較的余裕のあった理科準備室に案内しました。そこは、寒さのいちばんきつい部屋でした。アパートが潰れ、会社も倒壊して再開のめ

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震災から半月ほどたちますと、避難所にいることを遠慮する方々が増えてきました。「もうしわけないです」「子どもたちの教育の場所なのに」まったくもって遠慮する必要はありません!と、学校は言い続けていました。それでも、遠慮する人はいるものです。です

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昼間人口の減少。
2016年01月19日20:19

地震から2週間ほどたつと、避難所の昼間人口が激減しました。家の片づけに行く人、職場に戻る人、これからの行き先を求めて活動する人たちです。弁当の受け渡しや、掃除など、避難所の働き手が足りなくなってきましたので、地元に働き手を求めることになりま

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給水車の方の明るさ。
2016年01月18日21:40

毎日毎日やってくる給水車の方は、底抜けに明るい人が多かったです。車のナンバーは、西日本全体に及んでいました。もちろん自衛隊車もありました。「どっから持ってくるのですか」と尋ねますと、私の聞いた限りでは、神戸市の西平野浄水場と言うことでした。

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毎年、この日は何もする気がおこりません。近年、特にそうなってきました。わが御影北小学校で亡くなった、5年生の男の子、3年生の女の子、1年生の女の子の姉妹、1年生の男の子。それらの子のお母さんの気持ちを考えると・・・。年を経るほどに、悲しみは

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「わしらが生きていることは、ごっついことなんや」と、焚き火のそばで語ったおっちゃんがおりました。みんな、うなづきました。あの地震は、それまでのひとりひとりの人生に、すこぶる大きな影響を与えたのです。私もそうです。それまでは、毎日毎日の人生を

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「生き残ってんから、からだに気を付けようぜ。物を足に落としたりすなよ」避難所で、救援物資をバケツリレーのように運ぶ時、そんな掛け声が出ました。生きてるだけでありがたい。何か人のお役にたちたい、という気風に満ち溢れていました。あいつが死ぬのや

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死者の数。
2016年01月14日17:37

その頃になると、東灘区で、約1500人亡くなったという情報が伝わってきました。教頭先生と話します。「東灘区、人口、どれぐらいですかね」「約20万人と聞いてますが」と、私。「ほんなら、130人にひとり亡くなってますなあ」「なんでそんなに計算が

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広島平和の歌。
2016年01月13日17:41

消防車に乗り込む隊長に、「隊長。平和祈念式典で歌われる広島平和の歌、私大好きなんです。隊長知ってますか」「その歌と、広島カープの歌は、広島の人で知らん人はおらんでしょう」と、微笑まれました。「隊長は、あの原爆で誰かを亡くしておれれますか」「

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地方の消防隊。
2016年01月11日19:46

サイレンを鳴らしながら、全国から消防車がやって来ました。震災後、10日たってもやってきました。忘れることの出来ない広島の消防車があります。「もう、仕事はないですね」と、私に語りかける隊長に、「みんな、元気がなくて」と、言いました。隊長は、私

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震災4年後の、1999年から、神戸市長田区の震災被害のひどかったエリアの復興事情を歩いて調べる、「神戸あいウオーク」というイベントが行われています。今日も、それに参加してきました。出発は、大黒公園です。この公園の東側まで、震災後の火事は押し

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人間の「エネルギー」
2016年01月09日18:07

同年代の教頭先生とあれこれ話すのは、避難所運営の最大に楽しいひとときでした。うまがあうのでした。「避難者の方が減って来ても、ある程度、部屋には多くの人がおった方が良いでっせ」「そりゃそうです。人間の出力は100ワットです。電球ひとつです。満

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石を瓦礫にぶつけていたいた子どもは、まだ幸せです。家があるのですから。長屋や文化住宅が潰れてしまった子どもたちは、なお、元気を無くしていました。避難所で、そういう子どもたちと大いに話しましたが、それでも、こういうことに気づきました。兄弟だと

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失うということ。
2016年01月07日22:19

私は、とにかくまちを歩きました。偵察に出かけました。壊れた家の前で、ひたすら瓦礫に石をぶつけている少年に出会いました。肩を抱きました。「なんで、石をぶつけてるんや」「・・・・・」「なんで、石をぶつけてるんや」「なんにも、のうなってしもた・・

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地域の力。
2016年01月06日21:03

あの地震後のひとつの避難所小学校の様子について、述べてきましたが、地元から避難されてきた方々について、あまり触れていなっかたことが気になります。それらの皆さんの中で、「私たちが避難されている皆さんをまとめましょう」と手を挙げられた何人かの方

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人間力の尊さ。
2016年01月05日21:28

避難所の小学校では、すべての人が力を発揮しました。届いた救援物資の運搬には、全員が参加しました。「炊出し」には、手伝える人すべてが参加しました。誰かのために、何かを少しでも良くしたいという気持ちは誰でもが持っています。それが十二分に発揮され

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PTAの力。
2016年01月04日20:57

あの地震からさかのぼること45年。今からさかのぼること65年前。昭和25年。大阪市立曾根崎小学校。大阪、北のど真ん中です。そこに、父の働いている毎日新聞の社宅がありました。私より5歳年上の兄は、小学校3年生。わが母さん方は、給食の手伝いに当

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無償の働き。
2016年01月03日20:54

先生方は、有償の働きですけど、わがPTAは、無償の働きでっせ、と私が言いますと、教頭先生が、それはちょっと違うのではないか、と、意見を述べられました。PTAは、児童の親です。児童を守るためにPTA活動をされているのですから、報酬はありませんが、対価

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【中休み】元日!
2016年01月01日21:41

皆さん、あけましておめでとうございます。今年は、昭和で言えば、昭和91年であります。私は、昭和21年生まれですから、4月25日の誕生日がくれば70歳になります。世の中に文字というものがあって、暦というものがあって、さあ70歳ですよ!と言われ

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