「終戦後」という言葉が、もう若者には伝わらないので
すよ、と校長先生に言いました。
校長先生は、昭和10年生まれ。当時60歳。
私は昭和21年生まれ、当時48歳。
生きるためのものは、ほとんど何もなくて、ただひたす
ら、配給物資に頼る人生でした。
パンでも、お米でも配給でした。
ボランティアの大学生、最高年齢で22歳。
昭和で言えば、46年生まれです。
私の年の差でも、25年あります。
昭和46年生まれと言えば、テレビはあるは、電気冷蔵
庫はあるや、近代的洗濯機はあるや、で、世界が違うも
のですって、と校長先生に言いました。
育ってきた環境で「もの」が普通にあるのとないのとで
は、大いに人生観が変わります。
「おにぎり一個があるだけで天地に感謝する」人間と、
それの配り方が遅いと文句を言う人間との戦いが、避難
所の問題点になってきました。
「風呂」に入れば解結するのになあ(笑)
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