石沢という男のアナウンサーと、有働由美子というアナウンサーの報道番組です。7時23分から28分までありました。 被災地で、サラリーマンが選挙に出て、初めは選挙慣れしていなかった男が、だんだん選挙慣れしてきて、なんとか当選したというストーリー
昨日、横浜で、87歳のおっちゃんが、わけのわからない車の運転をして、可愛い一年生の男の子が亡くなりました。 あの地震の時もそうですが、こういう理不尽なことには、身体中の力が抜けます! なんで、こんなことが起こるのか!一年生の家族の皆さんの気持
「ひとりでは何も出来ない、ということが改めて解った選挙でした」NHKの鳴き虫ディレクターにマイクを向けられて発した最初の言葉がそれでした。用意した言葉ではありません。 選挙に出ると言ってから、いったい何人の方のお世話になり、いったい何人の方
サンテレビで、4100票で、9位。10位の方は3700票という表示が出ました。「行けた」と、思いますが、それでもサンテレビが間違えていることもあります。マスコミが間違える過去のそういった例も、選挙ではよくあることです。 しかし、サンテレビの
開票の始まった50分後ぐらいに、全員1500票という連絡がありました。「文ちゃん良かったねえ、1500人もの人が投票してくれて」なにかと慎重な従姉は涙ぐんでいます。 私も、とにかくほっとしました。泡沫候補でなくて、という安堵です。500票や
9時になりました。テレビを食い入るように皆が見つめます。すぐに結果が出るわけではありませんが、全員の気合が入ります。 ふつうは、4月の統一地方選挙で行われる予定の、次の選挙が震災の影響を考慮して6月の今日に延ばされたのでありました。兵庫県会
8時前にNHkのスタッフの方が来られました。カメラマンやら、照明係やら、しゃべる人などを含めて4人で来られました。 ディレクターの若い女性が、「浦上さん、信じましょう」と、明るく笑いました。 密着取材が続いていたある日、「家が全壊したり、仕事
たった3カ月前のテレビですが、私が発言してることを大いに忘れていました。画面の再生を見て、思い出しました。 司会の田原さんに促されて、こんなことを言っていました。「私は、震災の翌日に避難所に来られた衆議院議員の方に、安心して下さい宣言を、総
こんなコンテナハウスでテレビが観れるのかと心配していましたが、知り合いの電器屋さんが設定して下さいました。 ビールが山盛り集まりました。「選挙事務所で、ビールはまずいのではないか」という真面目なおっちゃんがおりましたが、「わしらが飲むもんを
今晩の選挙速報の時間中に、3分ほど、取材したことを放送します。という連絡がありました、 事務所に向かいました。事務所の裏に大テントが張られていて、おにぎりやら唐揚げが大量に用意してありました。まいるなあ・・・。20人ほどの方が集まっておられ
応援して下さった、主だったおっちゃんらと飲んで帰ったのは12時頃でした。そのまま横になり、11時ごろまで眠りました。 あの地震以来、余震で寝覚め、避難所ではほとんど眠れず、学校が再開してからも、会社に行く前に学校に寄り、それから選挙というこ
「どうでしたか、9日間を振り返って」と、問われて。 「苦しかったですなあ。おっちゃんが、大きく手を振って下さったり、手を合わせてお婆さんが拝んで下さったり、街宣車を追いかけて来られる奥様がおられたり、小さな声で「がんばって」と微笑んで下さる
東灘区御影郡家大蔵の事務所に戻りました。 20名ぐらいの方が拍手で迎えて下さいました。事務所の裏にテントが張られていて、おにぎりとか、唐揚げが山盛り用意してありました。 親切にされればされるほど、つらいです。当選しなかったら・・・たぶん無理だ
「皆さん、私は避難所で経験したことがあります。この避難所には、布団はありませんが毛布はあります。風呂はありませんが、おにぎりはあります。という様々なことを、すべて、一枚に紙に一本の鉛筆で書いて張り出しました。 一枚の紙に一本の鉛筆で書いたこ
御影大蔵の、大丸役員の奥様の実家が全壊した更地に置かせて頂いた事務所に戻る前に、阪神御影駅前に寄りました。 8日前に、初めの演説を行ったところです。 「屋根に青いシートをかけた家やら、壊れたままの家、町は、あの日以来変わってないところがほとん
マルシェ前演説を終えて、御影山手1丁目から6丁目をすべて回りました。それから、選挙カーは御影町、御影中町、御影石町の小学校校区のすべてを回りました。 「ありがとうございます。ありがとうございます。選挙に出ることが出来て」の連呼です。時々は、
場所は、東灘区御影山手。マルシェという店の前です。夕方6時頃です。マルシェは、小さなスーパーです。 「皆さん、御影北小学校のPTA会長をさせて頂いていた浦上忠文と申します。今回、神戸市会議員選挙に立候補しています。 手を挙げて、PTA会長にな
演説パターンの3つめです。 「市長は、神戸空港は市民の希望の星だとおっしゃいました。神戸空港を作ることを発表されました。 私は文明論的に、空港を否定するものではありません。空港なんてバス停みたいなものだと思っています。 ですが、今、この震災に
あどけない「まさお」の笑顔を思い出すと、今でも泣き出したくなることがあります。「まさお」は、受験勉強の苦しい時でも、会社勤務で、さあ、困った、という時でも登場しました。励みになりました。「まさお」は、今でも無二の親友です。 御影北小学校で亡
演説の続きです。「このたびの地震で、東灘区では1500人もの方が亡くなられました。ごっつい数です。皆さんもご家族やら、親類やら、友達やら、沢山の涙を流されたことでしょう。 私も小学生を亡くされたお母様やら、ご主人を亡くされた奥様やら、幾度抱
選挙、最終日。それまでの選挙で繰り返してきた演説のすべてをいろんなとこで話そうと、決意しました。 いちばん多く話したのが、「皆さん、風呂敷包みひとつあったら、それでいい、と、あの日のあと、思ったのではないですか」と話し出す演説であります。 も
NHKが、「あのお母さんと、何か話してください」と言われます。 何を話していいかわからないので、とりあえず「浦上忠文って知ってます?」「知りませんでした」「ポスター掲示板、下の段左から3枚目です。また見て下さいね。最近、少しづつ有名になって
おっかなびっくりで始めた選挙でしたが、町中を選挙カーで走っている感触では、けっこう良いところに行っているのではないかという自信が日々に生まれて来ていました。 それが、朝の新聞の苦戦の報道です。地元紙やから、そこそこ調べていることだろう。がっ
神戸のような人口が100万人を超える大きな地方都市は、政令指定都市と言います。 市町村の選挙は7日間ですが、政令指定都市は9日間です。金曜日に告示され、翌週の土曜日までが選挙です。 翌週の金曜日の朝刊には、選挙展望という記事がのったりします。
こんな演説も繰り返しました。 「わが東灘区では、1500人の方が亡くなりました。東灘区民、150人に一人が亡くなりました。 私がPTA会長を務めさせて頂いていた小学校でも、児童は600人。4人の可愛い児童が亡くなりました。数学の確率というもの
事務所で昼弁当を食べていますと、目のぱっちりとした若者がやって来ました。愛知県の安城市会議員だと名乗りました。 事務所のコンテナハウスを用意してくれたKさんの親戚だそうです。「あなたが候補者ですね」と、私に握手を求めて来られました。「見れば
選挙は、震災から4か月半後。公園に作られていた避難所のテント村は、まだたくさんありました。 ある公園で、話し始めたところ、「やかましい」と、テントの中から怒鳴られました。その気持ちは良く解ります。 ですが、一刻も早くテント村を無くしたいために
お世話になっているパソコン青年から、浦上ブログを、あの阪神淡路大震災からのことを小説風に書きなさい!と、指導を頂いてから、一年経ちました。 小説風に書き続けてきた文章は、震災から5月目を迎えようとしています。 最近は、ブログが「市会議員選挙の