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日記一覧

想像する力。
2016年04月29日21:23

想像する力は、これからの皆さんの人生のすべてです。想像する力がないと、仕事でも、人間関係でもうまくやって行けないですよ。今でも大事なことですよ。例えば、お母さんと言い合いになったとします。自分が正しいと主張して、言い合いになっていると思うの

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「たいへんなことが起こった卒業式になりました。被害にあって大変な目にあっている皆さん、心の底からその悲しみや苦しみを感じて下さい。おじさんは、50年前の戦争や空襲で、身内を亡くしたり、家が焼けてしまった人たちから、たくさんの苦しみや悲しみを聞

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卒業式あいさつ。
2016年04月27日21:31

亡くなった4名の児童との「お別れ会」の翌日は卒業式でした。PTA会長としてのあいさつを頼まれたおりました。卒業式のあいさつを考える時、忘れることの出来ない、地震以来、いちばん胸を打った言葉がありました。神戸市東灘区を走り回っていた時、深江や青木

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私が生まれた家は、江戸時代から建っていた家だそうです。江戸時代末期は、適塾の緒方洪庵先生の弟子の、山田貞順という方の医家。岡山県吉備郡足守町。備中木下藩二万五千石の陣屋町。水蜜桃の大産地。今頃の季節は、桃の花の真っお揚げを作るために油を燃や

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昭和21年4月25日に私は生まれたそうです。今日、70歳。昔は、古稀のお祝いをしたそうですが、「古来希な、ということで古稀」ですが、今頃は希でも何でもありません今や、古稀と言うなら、90歳ぐらいでしょうか。高校3年生の時に亡くなった母から聞いた話。「

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子どもに相談。
2016年04月24日20:25

小学校4年生だった子どもに相談しました。男の子です。「あんな、市会議員と言う仕事というものがあるねん。それはな、選挙というもので決まるので、当選出来るかどうかわからへんけど、お父さんは、それに出ようと思ってるねん。いいか」子どもは、しばらく

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家内は絶句。
2016年04月24日00:34

絶句は、ほっといて、「困ったときのS君」と家内からからかわれる高校と大学が同窓のS君に相談しました。彼はあっさりと、「お前さんなら当選するよ」語りました。彼は大手広告代理店のシンクタンクの副代表を務めている男でした。俺が当選する理由を語りまし

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担任の先生との約束・
2016年04月22日17:26

私は、遠い小学校の卒業式のことを思い出していた。昭和34年。1959年。安保事件は、まだ翌年の事。東京都世田谷区立代沢小学校。駅で言えば小田急と京王帝都の下北沢。多摩川でまだ、泳げた。2年生から6年生まで教えて頂いた三本杉美奈子先生は卒業に

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なんでこんなことを市長さんは言われるのだろう。みんなが悲しみに耐えて生きて行こうとしてる時に、無神経ではないか・・・。そんな市長さんと、議会で渡り合って、真意を質さなくては生きてきた値打ちが無い!と、私は燃え盛っているのでした。地震さえなけ

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まっすぐな人生。
2016年04月20日23:16

「お別れ会」が終わってから、校長室で、亡くなった児童の保護者の方に、写真と、担任の先生から、教室に残っていた図画の道具や小さな上履きなどの遺品が渡されました。校長先生が泣きました。教頭先生も泣きました。私も泣きました。保護者の皆さんも泣きま

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熊本地震についてのブログの前は、御影北小学校で亡くなった4名の児童のお別れ会で読み上げた「詩」を書いていました。家での練習では、泣けて泣けて、最後まで読み上げることが出来ませんでした。その朝は、気持ちが変に安らかになり、少し声が上ずりました

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昨夜は、阪神淡路大震災で苦労したメンバーが集まり、震災後のフォローというものは、なかなか難しいなあ、という議論で深夜まで盛り上がり、ブログが飛んでしまいました。おわび申し上げます。熊本・・・。行政視察に何回か行きました。ひとつは、水道の視察

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地震が起こります。本震より大きい余震は無いから心配するな!と、家内や子どもに言って、私は小学校の避難所のお世話に出かけたのでありました。21年前rの、あの、阪神淡路大震災の時のことです。本震より大きい余震が無いというのは、東京都世田谷区立代沢

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世の中には、人生には、思いがけないことが起こる可能性があります。21年前の阪神淡路大震災後、そう思って暮らしています。楽しい飲み会の帰りに交通事故に遭うかもしれません、世の中に不満を思っている方に刺されて死ぬかもしれません。「熊本」で地震があ

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Mくん 君の家では ボランティアの若い人が病院に運ぶ車の中で泣いていた 君の声が忘れられない、と言って おいおい泣いたKくん 君の家では 近所のおばさんが 「ここでねえ、ここでねえ」と言って ぼくに抱きついてこられた節くれだった手のおじいさん

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1995年。3月25日、9時。
2016年04月13日17:39

神戸市立御影北小学校講堂。午前9時。くもり時々小雨。地震で亡くなった4名の児童との「お別れ会」が始まりました。教頭先生の司会で、「黙祷」校長先生の、お別れの言葉。「ああ、君たちの名前を呼んでも、もう返事はない・・・」というところが印象的でし

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「お別れ会」の準備。
2016年04月12日22:26

教頭先生は、写真屋さんに頼んで、亡くなった児童の顔写真を額に入れるようにされました。担任の先生は、上靴や、絵の用意のセット、書いていた書道、描いていた絵を校長室に持って来られました。一年生の担任の先生とは、抱き合って泣きました。震災の翌日に

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この半年間、21年前の地震後の様子を書いております神戸市立御影北小学校の入学式がありました。新一年生は180名。6クラスでのスタートです。入学式での校長先生の話が、私は大好きです。まったくもって、お人柄が表れます。今度の校長先生は、神戸市で

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よくぶつかるなあ!
2016年04月11日00:04

「お別れ会」のプログラムについて、校長先生と激論を交わした後、こんなことは、職場では、あまりないことやなあ、と思いました。ひとりひとりの考え方が違う、人は様々や、ということぐらいは、よくよく解っています。だけど、ここまで校長先生とぶつかる!

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昨日のブログの、翌日の打ち合わせ。「お別れ会」でのあいさつは、校長と私ということに決めましたが、一晩たって、私は思いたちました。亡くなった児童の友達が、ひと言でも思い出を述べたほうが良いのではないか、と思い校長先生に提案しました。4人の児童

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復旧テーマは、複雑に。
2016年04月08日17:35

地震から、2か月たった頃。私は、昼間は大丸神戸店に行き、帰りに学校に寄っていました。校長室で、校長、教頭先生と課題の整理を行います。亡くなった4名の児童との「お別れ会」を、卒業式の前日に行う。「お別れ会」は、校旗を半旗で掲げ、校歌を歌う。お

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という75歳の方がおられました。理由をお尋ねしてみると「わしは毛布一枚しか待ってない。あんなとこでは暮らせない」と、言われるのであります。「心配ありません。終戦後と違って、こんな世の中です。行政がちゃんとしてくれますって」と、励ましました。

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その数は、あやふやであります。ですから、仮設住宅が、いくついるかもあやふやであります。後に、その頃から半年後に、市会議員に推して頂いて、常に私が質問を重ねたことは、潰れた家の「悉皆調査=全部を調べること」をやりましょうやでありました。ああ「

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仮設住宅。
2016年04月05日21:48

「日光猿軍団」問題もさることながら・・・。教頭先生と私との間で、問題になっていたのは、仮設住宅がいつになったらちゃんと建つのか、ということでした。地震から1か月後には仮設住宅の計画が示され、募集が始まりました。建設も始まりました。とにかく、

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日光猿軍団!
2016年04月04日16:02

避難所には、救援物資が届くとともに、炊出し部隊の申し出も相次いでいました。散髪や美容師さんのボランティアの皆さんも来られました。コーラスや、銭太鼓、南京玉ずだれなどの余興部隊には、大いに楽しませて頂きました。ある日、「日光猿軍団」という大掛

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神戸市東灘区、阪急御影駅近くに、標題の名前のお宮があります。最近は、スケートの「羽生 ゆずる」君が、「ゆずる」ということで、絵馬を奉納したことで、有名になり、若い女性のお参りが激増しました。「足が三本」の八咫烏(=やたがらす)が、テーマのお

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昨日のブログで、あの地震は、「人生とは何なんやろ」「社会に生きるとは、どういうことなんやろ」ということを神様が叩きつけて下さっている。ということを書きました。もうひとつ、忘れていることがありました。それは「不条理な死」とは、何かということを

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若者に、このブログを「阪神・淡路大震災」話にせよ、と言われて半年経ちました。半年経って、書いていることは、まだ地震から2か月も経っておりません。新書本一冊の文章量になっています。あの地震の時が、私は48歳。5か月後、神戸市議に押しあげて頂い

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