2016年8月下旬オムツもオシメも大抵は皆赤子の時から2,3歳を超えてまだどれくらいまでするものか、自分のことも、自分の息子、娘のときのことも覚えていないが、それでもはっきり覚えているのは日本から昔からの浴衣を布オシメにして送ってきたものを使
まだ五日か一週間前まで暑く裏庭でパラソルを広げて本を読んだりしたものだが昨日今日は平年並みの18℃まではまだ行かないものの日中最高気温20℃を越したぐらいだからここに来て一気に秋めいたように見える。 それにつれて庭の植木にも鮮やかな色のも
昨晩家人が突然、明日オランダ陶芸センターが引っ越して新しくなったところが開所するのでそのイヴェントに招待されているの、文部大臣も来るから美味いもの飲み食いできるんじゃないかな、行く? というので別段予定もないし只飲み只食い出来るならいいか
昼前に起きて、ああビッグバンドの演奏が1時からあるのだと思い出し家人がいる公民館に出かけた。 日曜だから来場者が昨日より増えていた。 知人から花を貰ったといって家人は窓辺を指さすと強い光が花束に射して逆光気味の花束がまぶしかった。隣のホー
オランダには中規模の町以上には殆どのところに Volkshuis と呼ばれる公民館がある。 Volks (大衆)の Huis (家)というのが直訳なのだがその起こりはベルギー、オランダでは明治、大正時代に産業革命により都市部に生まれた大量の労働者たちの労働運
日中34℃まで上がり余り暑いので夕食後 Katwijk の浜に出かけ泳いだのは10日前だ。 それが今、日中最高気温20℃、夜間の気温10℃ほどまで下がりこれが平年並みなのだという。 10日ほど前まで夜間窓を開け放って真っ裸で寝たのが今厚い毛糸の靴
3か月前に同じ題でここに書いている。http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/65212062.htmlオランダ名が Liguster、英名が Privet, 和名がイボタだというのは3か月前の日記を見て思い出した。 生垣だの垣根だというだけで名前など右から左に忘れてしま
邦題; ディンゴ (1991)原題; DINGO110分オーストラリア・フランス映画 監督: ロルフ・デ・ヒーア 製作: ジョルジオ・ドラスコヴィック マーク・ローゼンバーグ マリー=パスカル・オスターリース ロルフ・デ・ヒーア 製作総指揮:
2016年 8月 16日 (火)7時半起床、宿の朝食はスクランブルドエッグに焼きトマトとスモークサーモン、紅茶。 歩くのでグルテン入りは厳禁だから美味いトーストは喰えず後は果物で済ます。 島にはいかず半島を北に向かって歩く
昼前に起きると土曜日だった。 何もしなくてはいけないことも予定もなく膀胱を軽くするのに下に降りると息子がサンドイッチを作ってそれを牛乳で流し込んでいた。 涼しくなったからハーグからサイクリングユニフォームにヘルメット、安くない靴
邦題; スウィンガーズ (1996)原題; Swingers96分監督: ダグ・リーマン 製作: ジョン・ファヴロー ヴィクター・シンプキンス 製作総指揮: ケイリー・ウッズ 脚本: ジョン・ファヴロー 撮影: ダグ・リーマン 出演: ジョン・ファヴロ
2016年 8月 15日 (月) 快晴8時に朝食のあとオサリバン氏が車で我々3人を5kmほど離れた国道沿いのそこからは山道に入る柵のところまで送ってくれた。 イギリスでもどこでもそうだが徒歩旅行で一番避けるべきは車の通る舗装道路だ。 フランスや
昨日に続いて今日も暑かった。 娘が家族会議をしたい、ついては仕事を終えた兄と車でそちらに行くからと昨日電話してきた。 何が喰いたいか訊いたらこんな暑い日だから何か冷たいもの、ざるそばがいい、というので午後そのための買い物に出かけた。 公園の
2016年 9月 13日 (火)35度の大阪から戻って一息ついていたのだがこの2日ほどオランダはとても暑い。 17℃のアイルランドで10日過ごしオランダに戻ったのが3週間前、スキポール空港に降り立てば34℃だった。 そしてその足で大阪に飛ばなければな
水曜日、少々気が重い帰省からスキポール空港にもどればメールボックスにロバート・ロークから金曜にハーグでセッションをするからと案内が来ていたのに気が付いた。 場所は2年前に出かけたハーグのジャズ・カフェ Murphy's Law だ。 このカフェは日本で
3ヶ月ごとにもらう薬をとりに行ったことをほぼ一か月前に書いた。http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/65281737.htmlそのとき痛風の痛み止めがまだあるので貰わなかったけれど痛んでいたからそのときまだある錠剤を飲んで収めようとしたのだが痛みが引かな
今回10日ほど日本に帰省したのは叔父から母の様子が怪しいからだと告げられたからだ。 母の認知症に関してはそれがはっきりして介護施設に入所させた5年半前ほどまえの11年2月2日に「記憶の喪失、混濁、その他」と題して次のように記している。 http://bl
日本に10日ほどいて、それも旅行でもなく毎日母が住む介護施設にでかけ夜宿屋に戻って来る毎日で喰い物はどこかで済ます。 周りに鮨屋や中華料理屋はあってもそれが毎日では飽きる。 あれやこれやと品を変え食餌とするのだがそれなら居酒屋や一杯飲み屋な