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2016年09月21日02:43

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ディンゴ (1991);観た映画、Sep. '16



邦題; ディンゴ    (1991)

原題; DINGO



110分

オーストラリア・フランス映画


監督: ロルフ・デ・ヒーア
製作: ジョルジオ・ドラスコヴィック
マーク・ローゼンバーグ
マリー=パスカル・オスターリース
ロルフ・デ・ヒーア
製作総指揮: ジョルジオ・ドラスコヴィック
脚本: マーク・ローゼンバーグ
撮影: ドニ・ルノワール
音楽: マイルス・デイヴィス
ミシェル・ルグラン
出演: コリン・フリールズ
ベルナデット・ラフォン
マイルス・デイヴィス
ヘレン・バディ
ジョー・ペトルッツィ
ブリジット・ケイトリン
ベルナール・フレッソン

ジャズ界のみならず、全ての音楽シーンに多大な影響を与え続け、91年9月に急死した“ジャズ界の帝王”M・デイヴィス出演の音楽人生ドラマ。少年の頃“伝説のミュージシャン”ビリー・クロス(デイヴィス)と運命的に出会い、『音楽を志せ』と忠告を受けたジョン(フリールズ)。その言葉通りミュージシャンを夢みて行く彼だったが、今や妻も子もいるしがない中年になり、楽ではない生活を送っていた。それでもあの時の感動を忘れること無くいつかレコードを出す事を信じ、密かに貯金もしていた。そんな時、ビリー宛に出した手紙の返事が届き、いても立ってもいられず家族を残して彼の住むパリに旅立つのだった……。余りにも夢と現実が掛け離れた生活を送るジョンの、それでも夢を追い続ける男の情熱があっさりした中にもしっかりと描かれた、なかなか味のある作品。

舞台となるオーストラリアの風景もなかなか美しい。またマイルスとルグランの共同作業による音楽も二人の個性を生かした渋いスコアに仕上がっている。尚、マイルスは様々なコンサート・フィルム以外にも、TVシリーズ「マイアミ・バイス」の1エピソードに出演していたり、「3人のゴースト」にとんでもないメンバーでワン・カット出演していたりしている。芝居をしなくてもマイルスの存在感はもうそこにいるだけで名演物! 渋いゼ、マイルス!

上記が映画データベースの記述である。 本作のことは当時うすうすと聞いていたけれどマイルスが関係したのは音楽だけだと勘違いしていたしこの頃のマイルスはもう過去の人、創造性は擦り切れそれまでは果敢に音楽世界を切り開いていたものがその力も衰え果てたと見做しもうLPは買うまいと決めていていたからジャンゴに似た響きのディンゴには耳を通していない。 聴くのは50年、60年、70年代から 「We Want Miles (1981)」までぐらいだ。 けれどマイルスは自分をジャズに引きずりこんだ人だ。 いつか会って話を聴いてみたいと思っていたのに麻薬とエイズで本作が封切られた年に亡くなっている。 その後マイルスのバンドに70年代にいた人何人かとコンサートが済んでから楽屋で話す機会を得てだいぶマイルスに近づいたと思いつつも60年代から80年代初頭までのものを折に触れてあれやこれやと聴いている。 

先月帰省した折大阪岸和田のジャズ喫茶 Pit Inn で、そこは自分の高校の時の柔道部の顧問で数学のT先生のご子息が20代からずっと今ではもう滅び去ったジャズ喫茶を続けていてこの30年ほど日本に戻るとそこに行ってジャズを聴く。 今岸和田だんじり祭りが終わったところだが何万人と人が集まる駅前から50mほどの横丁にあるボロボロに朽ちかけたジャズ喫茶には法被に鉢巻の連中は入ってこない。 そこで10日ほど前にマイルスの話をしていて彼の若い時からの知人でマイルス研究の第一人者、マイルスの追っかけをしていた中山康樹が去年亡くなっていたことを知ってがっくりきた。 彼とは同じ時に同じところでマイルスのコンサートに陪席していてそのことを彼の著書で知りいつかは追っかけぶりとマイルスの人となりを直接聴いてみたいと思っていたからだ。 もうだいぶ前に You Tube でタモリがマイルスにインタビューした時の動画をみたけれどタモリの怯えぶりと焼酎のコマーシャルをやったマイルスが渋々そこにでていてその頃自分のLPジャケットに描いていたようなイラストをスケッチしつつ時間を潰していたたという風だったのを憶えている。 凄みのある気難しそうな態度に加えてあのしわがれ声でボソボソ話すのがタモリの萎縮ぶりに対照されて笑った。 そんなことを話していると出てきたのが本作の名前でずっと西部劇にスケッチオブスペイン風の音楽をやっつけでやったのかと思っていたものが音楽関連で自身もでていると聞いてオランダに戻ってから早速アマゾンで注文したDVDが数日後届きその日に封を解き観たというのが本作だ。

68年、乾ききったオーストラリアの集落の飛行場にジェット機が降り立ち村人たちが集まっているうちにジェットの腹が開きマイルス、いやビリー・クロスが立っていてやおら彼のバンドとともに奏でだす。 新しいもの、ファンクを交えたミシェル・ルグランの編曲だとすぐにわかるのだがそれがこの町の少年を虜にして集められる限りのLPを基に自己流でトランペットをやり出すという件は正当なものだ。 自分が今読み始めているマイルス自伝で彼がチャーリー・パーカーに虜になり追っかけをし自由奔放なパーカーとも一時期暮らし第一級の音楽を貪る若きマイルスの件にも似る。 それがその後乾いた台地で羊を襲う狼と犬の混ざった野犬(ディンゴ)ハンターとなりそのコミュニティーでロックンロールからカントリー、周りには理解されない自分の音楽をジャズ風にも吹いていつかは、と想いながら妻と二人の子どもを養い荒野でディンゴを追う。 そしてパリのマイルスに手紙を書き続けるがまだ機は熟さない。

アメリカのジャズメンとパリというのは縁が深い。 ドラムスのケニー・クラークやテナーのジョニー・グリフィンなどヨーロッパに住み着いたのを端緒として、例えばその当時の事情をバド・パウエルの話を基にデクスター・ゴードンを主人公に現役バリバリのジャズメンたちを起用して描いた「ラウンド・ミッドナイト(1986)」がある。 アメリカでの黒人に対する扱いがパリではその音楽で評価される環境ではアメリカに満足しないジャズメンたちが集まらないはずがない。 現にマイルスにもパリ時代があり芸術に接し実存主義のアイドルとも言われたジュリエット・グレコとの恋愛を経ての経験はパリが文化・芸術の都であることを認識しないわけはなく、それが本作での設定、パリに居を構えそのインテリアや当時のヒップな衣装に体現されているようだ。 マイルスを聴く人々からは多分本作の音楽とラウンド・ミッドナイトの音楽にはいうまでもない質の差があることはいうまでもない。 実際ラウンド・ミッドナイトのメンバーには現在ジャズの重鎮たちでありマイルス・スクールを卒業したサイドメンが並んでいることで明らかだしそれなら彼らが本作でバックを務めればよかったのにということもあるだろうけれどマイルスは91年にはもう自分の過去には居らずそのときの現在を生きていたのだ。 そういう意味ではミシェル・ルグランは世界に対して嘗て果敢に戦っていたマイルスの、今はもう擦り切れて過去の響きだけが残るサウンドを上手くスコアにしている。 ルグランのような達者だからマイルスはそのペンに乗って吹く気になったのかもしれない。 殆どの従来のマイルス好きは当時帝王ももう終わったと見ていて過去の栄光だけに踊らされる若者が港に引揚げる漁船の後ろに残った雑魚を求めて飛び回る鴎のようにマイルスに付いているように見える。 マイルスにはその時もうハンターである自分から港に帰る錆びた漁船になっている自分をどこかで意識していたのではないかと一瞬そんな想いがよぎる。 

本作のストーリーに戻る。 ここではドラッグも暴力もセックスやそれを巡る駆け引きも起こらず多少のスリルはあるもののフィーリング・グッド映画に仕上がっている。 それにある種のロード・ムービー、ドリーム・カムトゥルー映画であることの高揚感はあるのだがそれがジャズを聴くものには「いいこちゃん」映画に写り体を斜めに構えて、まあこれでもいいかという気分にもなる。 ある種のカタストロフィーの心地よさ、破壊願望まで迫る意識を矯めるところに不満を抱くのではないか。 主人公のハンター設定は魅力があり、そうして生きるところに自己完結性をも見いだせ、パリに飛ぶ前に追っていたディンゴに対して銃を構えるときに、ああこれは「ディア・ハンター(1978)」でデ・ニーロが鹿を狙うのと同じ設定だと思ったらそのとおりになったことでも主人公の前途を示唆しているように作られているだろう。 

マイルス(クロス)のセリフはどのようなプロセスを経てスクリプトとなったのか、またアドリブだったのか知らぬものの大人が才能ある若者を導くパリでの場面があちこちに配分されていて興味深かった。 そういう意味では伝説のマイルスを自身が演じていて気分は悪くなかったに違いない。 パリのクラブで吹く場面は本作の嚆矢だろう。 そしてディンゴはそういうバンドのトランペットとして娘の誕生日のために帰国する。 ディンゴの将来は開けているのだ。 嘗てのマイルス・スクールで鍛えられそれぞれ今も活躍するジャズメンのようになるのか、ディンゴ狩りのハンターとして暮らしながら吹くのか、テープを送って楽曲を提供するのか、それが70年代の可能性だが今では音響機器、IT関連技術に支えられどんな田舎にいてもコミュニケーションには困らない。 けれどジャズに限らずパーフォーマンスは生身から発せられるライブが命である。 何万キロも離れたところを素早く移動する手段はまだ考えられていないからその制限の中で我々は苦労する。 華やかなジャズメンの生活はさまざまな局面の中で楽ではないのだ。 そういう意味でジャズ史に燦然と輝く老いたとはいえカッコイイマイルスが見られる本作はマイルス好きには求められてしかるべきものだろう。

ディンゴを演じたコリン・フリールズは今まで何度かテレビで観ている。 BBCテレビは時にはオーストラリア映画を流すことがありそんな折に観たのだろう。 「マルコム・爆笑科学少年(1986)」で印象付けられて以来好感を持っている。 オーストラリア訛りの英語とその風貌に直ちに彼であることを思い出し彼の妻役のヘレン・バディに並んでいい配役だと思った。 
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