西田哲学のファンの多くは彼のワンネスに共感を覚えているのだろうけれど、論理によってそれを導き出そうとしている点についてはかなり無茶なことを言っているような気がする。「善の研究」第2編第2章の中の次の一節を読んでいると、手塚治虫の「火の鳥」に
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倉田百三はこの言葉に出会って独我論を脱することが出来たと述懐している。が、どうだろう。「経験あつて個人ある」というのは、実在するのは経験であって、個人というのはその上に立つ仮象であるという意味だろう。西田は、「善の研究」において最初に書き上
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