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2014年01月12日21:05

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凡録盤を聴く その2:変貌する装置と録音

 パナソニックのマイクロコンポで凡庸な録音の音盤、略して凡録盤を聴くことで、なるべく手軽にその盤により適した音を得てみようというこのシリーズですが、シリーズタイトルが長すぎて手持ちのテキスト一覧では扱いづらかったため、少し短くさせていただきました。
 この第2回では凡録盤が生じる背景事情とその音質上の傾向について、少し整理してみようと思います。

 録音の歴史の中でモノラルからステレオに、LPからCDに、そしてCDからSACDと新たなパッケージメディアが登場するたびに繰り返されてきた1つの現象があります。それは新たなメディアのスペックを活かす優秀録音がむしろ登場直後に集中し、普及するに従ってむしろ凡庸な録音が急増するという傾向です。たとえばステレオ最初期に登場した英デッカや米RCA、エベレスト、欧州のフィリップスやスプラフォンなどのごく一部の盤はことオーディオ的な観点からすれば以後のほとんどの盤を寄せ付けない周波数レンジ(Fレンジ)やダイナミックレンジ(Dレンジ)、そしてなにより音場感を誇っていましたし、CDに移ったときもテラークやデロス、BIS等のマイナーレーベルや初期のRCA、日本ではキングへの一連の朝比奈の録音が低域まで安定して再生できるCDの長所を存分に発揮したものでした。そしてSACDでもティルソン=トーマスによるマーラーの交響曲全集はその方向性をいっそう押し進めた広大なFレンジとDレンジを誇るもので、大型装置で大音量再生が可能な環境がなければ逆に影の薄い録音と誤解さえされかねない域にまで達しています。
 これらの優秀録音が初期に登場しがちなのは、エンジニアにも新たな方式の可能性をとことん追求したいという欲求があれば、高価な新方式の再生装置や音盤をあえて買うオーディオマニアにもそれを存分に鳴らしたいという機運があるからにほかなりませんが、普及期に入るとそういう条件はどうしても崩れてきます。特に顕著だったのはLP時代で、これは振動を小さな針で拾うという原理ゆえに安物の装置では単に高音質を発揮できないという次元にとどまらず、片面の最後まで無事にトレースすらできない事態が生じるに至り、それらの装置におけるトラブルへの対策が装置にではなくレコードの側に施されたからでした。LP固有の問題の中でも最大のものがスピーカーから出る低音の振動が針に伝わり増幅される悪循環を引き起こすハウリングと呼ばれる現象で、これは最悪の場合スピーカーやアンプなどの破損にも繋がりかねないものでしたが、それ以外にも縦方向の動きを要求されるステレオカートリッジは安物だと低音における振幅が大きい溝に追随しきれず音がかすれたり針が跳んだりするトラブルを起こしかねませんでした。当時は普及機でも今とは比べものにならない大型スピーカーが使われていて、それらの楽音ならざるノイズも含めた低音が制動しきれず垂れ流される傾向がありましたから、トラブル防止と混濁した低音の引き締めの一挙両得の観点から、音溝をカッティングするときに用いるカッティング用のマスターテープを作るときに低音をフィルターでカットすることが普通になっていったのです。なにしろLP時代のアンプにはCD時代は見られなくなったローカットフィルター付のものが大多数だったほど低音のトラブルは問題視されていましたから、それも付いていないような最低ランクの機械が普及した事態を受け、製盤用のマスターテープはオーディオマニア向けの特別な盤以外は低音をカットするのが当たり前になってしまいました。一方で高音は、そんな量こそたっぷりしているものの質の低さが目立つ相対的に優勢な低音に埋もれがちになるため、逆に目立たせるべく工夫が凝らされることになっていきます。例えばオーケストラでは高弦の近くにマイクを置けば、高音域の強調とともに混濁して輪郭がぼけがちな再生音の解像度不足にも繋がるため、録音システムが多数のマイクをセクションごとに配置してそれらの音を2チャンネルマスターにトラックダウンしてゆくマルチチャンネル録音に切り替わるにつれ、高音域を強めてミックスされるようになってゆきます。これらが特に目立ったのが米コロムビアで、60年代以降のオーマンディやバーンスタイン、セルなどの膨大な録音のほとんどが該当しますし、50年代に優秀録音を連発したRCAも同様にその再生音を大きく変えてゆきました。今は紙製の箱にまとめられているラインスドルフ/ボストン響のベートーヴェン交響曲全集は62年に録音された「英雄」から5年後の67年〜69年に残りの8曲が収録されて完成したものですが、「英雄」と他の曲で録音方式が完全に変わっていて、それが音質にどんな影響を及ぼしたかを否応なしに実感できる1組になっています。広大な音場の中で全体をスケール豊かに捉えた「英雄」に比べ、他の8曲は細部が目立つ反面スケールや臨場感は後退しており、細部の明晰さも意外に多いオーケストレーションの改変や細部の独特の処理が必要以上に目立ちます。特に最も編成の大きな「合唱」にその弊が著しく、本来は隠し味として機能するはずだった舞台裏の仕掛けが目立ちすぎるのは演奏がいいだけに残念です。けれどそれも今の装置で聴けばの話であって、当時の混濁した再生音で聴けばむしろ「英雄」の方が茫洋としていたのであって、他の8曲は濁った音しか出せない安物のステレオ電蓄や張りぼてスピーカーからより明瞭でバランスも整った音を鳴らしてくれていたのです(なお余談ながらこのラインスドルフとコロムビアに収録されたオーマンディの2つの全集は、いずれもカラヤン同様「英雄」だけがひときわ遅いテンポで重厚さを強調している点が共通していますが、このラインスドルフ盤ではそこに録音からの印象も上乗せされるため「英雄」だけがフルトヴェングラー調で残り8曲はむしろトスカニーニっぽく聞こえるというちぐはぐなイメージも感じられてしまいます。生前のラインスドルフの日本における評価がもうひとつ定まらなかったことに、あるいはこのベートーヴェン全集のちぐはぐさも影響を及ぼしてはいなかっただろうかとも思うほどで、そう考えるとレコーディングの音質に由来するサウンドイメージの大きさというか怖さのようなものも痛感しますし、だからこそ録音には慎重に接したいともつくづく思うのです。そもそも音楽が音でできている以上、音に注意深くあれずに音楽に注意深くいられるはずがないのですから)
 ヨーロッパではアメリカほど極端ではなかったものの、これに近い処理を施したのが独グラモフォン(以後DG)で、英デッカや蘭フィリップスは本国の盤ではほとんど加工されなかったようです。けれどデッカも米国や日本で造られた盤は低音のカットが見られましたから、それぞれの国で製盤用マスターを作る時点で独自の判断でやっていたようで、そんな国ごとの違いがとりわけ目立ったのが英EMIでした。また共産圏ではチェコ・スプラフォンやハンガリーのフンガロトン、そしてソ連メロディアなどが多少のタイムラグを伴いながらもこの最初期に僅かな優秀録音がなされた後はローカットかつハイ上がりでマルチマイクを多用という録音パターンが続くという道を歩み、膨大な凡録盤を市場に送り出したのでした。そしてこれらの凡録盤から初期の優秀盤のような音場感が失われていったことの埋め合わせとして出てきたのが70年代の4チャンネル録音への動きでもあったのです。

 もう1つ、音溝のトレース問題とは別に注目すべき点がマスタリングによる音づくりです。これは再プレスのたびに音質がその時点で好まれる音に合わせて調整されてゆく現象を指すものですが、僕が初めてこのことに気づいたのは70年代の中頃でした。4チャンネルが規格を統一できないまま失敗に終わり、その最大の要因でもあった値段の割に大きすぎるスピーカーが見直され始め、小さくて強度を高めた箱でとにかく箱鳴りを抑えようという動きが急速に広がり始めたこの頃、それらのスピーカーが鳴らす低音の垂れ流しが全くない明るく張り出してくる音となぜか歩調を合わせるように、再発売された同じ演奏の盤が以前より明るい音にごっそり入れ代わっていったのです。これはDGやRCA、スプラフォンやエラートやオイロディスクの窓口の日本コロムビア、デッカやフンガロトンやテレフンケンの窓口のキング、メロディアの窓口のビクター、そしてEMIの窓口の東芝などで同時多発的に起きたことでした。その結果、新しいプレスの盤を同じスピーカーで鳴らしてさえ違和感がある音になったのみならず、新たなスピーカーで鳴らすと銀ピカの到底アコースティック楽器から出てくる音とは思えないものに変わる上に、高くなった解像度のおかげで60年代以降のマルチ録音のミキシングの不自然さが暴き出され、あまりの激変ぶりに僕を呆然とさせたのでした。当時僕は高校生でしたが、こと音の点では箱鳴りのしないスピーカーに置き換わったこの70年代後半が最大のエポックで、その5年後のCDの登場は安定性をもたらしこそすれ音質の方向性や傾向にはなんの変化ももたらさなかったのです。後にCDのせいにされた人工的なメタリックサウンドは、普及価格帯のいわゆるゼネラルオーディオから箱鳴り共々過剰気味の低音が一掃されたLP末期のこの「いい音」という価値観のコペルニクス的転換に由来するというのが僕の実感で、この大転換を目の当たりにしたことは録音とオーディオについての僕のスタンスをも決定づけたのでした。
 そしてこの70年代後半という時期は三位一体の関係にあった百科事典や文学全集と共に名曲全集が姿を消していった時期でもあり、建前の上だけでもクラシックをターゲットとしていた開発目標が外された時期でもありました。少なくとも日本ではその後ゼネラルオーディオとしてのセット物や一体型の音響機器は小型化の一途をたどり、音質も過剰にプラス方向、つまりより強く、明るく、大きく、明晰な音が良しとされ、弱く、暗く、小さく、曖昧な領域の表現力はないがしろにされていったのでした。その方向が再び変わり始めたのは少なくともゼネラルオーディオでは21世紀を迎えてからで、それまでは一貫して低音不足のやたら明晰な音の機械が主流でしたから、クラシックに関しては今度は80年代後半に再び録音が装置の音に合わせる形で変化し始めたのでした。それは残響成分のミキシングという形で、デンオンのインバルのマーラー全集の6番以降から顕著になり始め、DGもアバドがベルリンPOに就任する直前に入れたブラームスあたりからこれに追随してゆきました。90年代に入ると後のSACDなどのマルチチャンネル規格を睨む形でフィリップスなども追随するようになり、気がついてみれば60年代とは似ても似つかぬものにメジャーレーベル各社の音は様変わりしていたのですが、ここまで見てきたようにそれが普及価格帯の再生装置に過剰適応したことの結果である点では今も昔も同じなのです。そして小型化がゆくところまでいった今、音溝のトレースから解放されたはずだったDレンジにおいても今度はスピーカー側の余裕のなさを受ける形で再び圧縮が目立つようになってきたのが現在の新たな凡録盤の音づくりの特徴となっています。

 なお80年代後半に登場したナクソス初期の録音が60年代の特徴を色濃く残していたのは、録音経費を抑えるため自前の機材を使わず会場に据え付けられているものをそのまま使うと伝えられたポリシーゆえに機材の更新が遅れていた旧東側諸国の状況が録音にそのまま反映されたのではないかと思われますし、マスタリングが日本と同様メタリックな音質につながりがちな点も香港というアジア圏のレーベルであるところに音に関する好みの傾向やなんらかの状況の類似性などがあるのかもしれません。それに諸外国では日本ほど急激にゼネラルオーディオの小型化が進まなかった可能性も時期的な足並みの乱れを考える上で考慮しておく必要がありそうです。それでも1つはっきりしているのは、今も昔もメジャーレーベルの録音傾向の動向を左右しているのは一般大衆向けの装置の特性であるといっておそらく間違いではないという点です。そう考えることで録音傾向の変化を説明することができることもさることながら、そもそも枚数が売れないとやっていけないメジャー各社にとって一般大衆から文句が出ないことは死活問題だったに違いないのですから。

 ともあれ非常に雑駁ながら、ステレオLP時代から現在までの録音の特徴について述べさせていただきました。次回は70年代の転換期以前の音源の再生用としてなぜパナソニックのマイクロコンポが優れているのかについて書いていこうと思います。


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