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2026年06月24日05:09

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維新後に北海道に移り住んだ新選組の数少ない生き残り永倉新八の足跡を北大前にたどる

 札幌に行って、宿泊したホテルの近くでもあったこともあり、北海道大学正門のすぐ北の歩道に描かれた「永倉新八来訪の地」の標識を毎日拝みに行った(写真)。
 石碑はない。ただ歩道に絵が描かれ、立て札があるだけだ(地図)。少なくとも新選組は幕末史に多くの足跡を残した組織で、しかも永倉新八は剣の腕前で「三強」とされる士だけに、もっと堅固な碑が欲しい、とやや残念に思った。

◎テロの京で新選組二番隊長として活躍、鳥羽伏見の戦いにも参戦
 幕末、尊皇攘夷の不逞浪士どもによるテロに荒れ狂う京で、会津藩お預かりの新選組は治安維持の前面に立ち、縦横に活躍した。新選組は徳川慶喜の大政奉還後に、強引に倒幕と会津藩殲滅を図る薩長主体の新政府軍とも果敢に戦った。永倉新八は、二番隊組長として白刃を振るって薩長軍に勇猛に切り込んだ。
 鳥羽伏見の戦いに敗れると(もう剣の時代は終わり、イギリスなどから輸入した「スナイドル銃」や「エンフィールド銃」で武装した薩長にはとうてい敵わなかった)江戸に戻り、幕府から甲陽鎮撫隊として甲州に転戦、これも敗れると近藤勇、土方歳三らは流山に退いた。この戦いの後、永倉新八らが隊を離脱した。
 その後、近藤と袂を分かった土方らは幕府軍残党と宇都宮城を攻め、その後、優勢な新政府軍に逆襲されると会津を転戦した。転戦に次ぐ転戦は、さらに続く。会津も落ちると、榎本武揚の率いる幕府艦隊で蝦夷地・箱館に渡る。この時、増減を繰り返していたものの、それでも土方率いる新選組は、100名近い隊士を抱えていた。

◎鳥羽伏見の戦い後も北関東などで転戦
 しかし五稜郭にこもった榎本総裁の蝦夷共和国は、明治2年の新政府軍との交戦で敗北、土方歳三もこの戦いで戦死している(23年5月6日付日記:「函館の旅(5):土方歳三最期の地=一本木関門を訪ねる」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202305060000/を参照)。
 さて冒頭に挙げた永倉新八は、一部隊士と共に北関東で新政府軍と戦うが、東北の米沢藩にいた時に会津藩の降伏を知って江戸へ帰還した。その後、元いた松前藩に帰参が認められ、北海道に渡る。箱館戦争の後だったので、永倉は箱館の新選組としては戦っていない。

◎維新後に北海道で剣術を指南
 新選組時代、戊辰戦争後に同じ北海道に渡った斎藤一(藤田五郎と改名)と鳥羽伏見の戦い後に江戸に戻り病没した沖田総司とともに「三強」と讃えられた。
 北海道に定住した維新後にも剣の腕は認められ、警察官僚で樺戸集治監の所長だった月形潔に乞われて剣術師範として迎えられ、看守に剣術を指導した。
 北大前の歩道上に「永倉新八来訪の地」の標識があるのは、小樽市在住のかたわら、明治42年(1909年)に東北帝国大学農科大学(現・北海道大学)の剣道部を指導していたからだ。
 明治の時代、永倉は数少ない新選組の生き残りとして新選組の顕彰に努め、自ら発起人になって新選組に好意的だった医師・松本良順、元新選組隊士・斎藤一と共に明治9年(1876年)に東京都北区滝野川に近藤、土方の墓(寿徳寺境外墓地)及び新選組慰霊碑を建立している。なお斎藤一は、剣の腕が見込まれて警視庁に奉職しており、旧会津藩兵とともに西南戦争に出陣、かつての仇敵の薩摩・西郷軍に恨みを晴らした。

◎『ちるらん』の語り部
 永倉新八の小樽時代の晩年は、漫画と後にドラマ『ちるらん 新撰組鎮魂歌』に語り部として描かれている。小樽に隠棲していた永倉を土方歳三の架空の孫娘の新聞記者・市川真琴が訪ね、彼女に対して新選組時代を回想して語る物語だ。かなり史実を歪曲しているところも目立つが、新選組生き残り組の興味深い回想記だ。
 永倉は、大正時代まで生きた(下の写真の上=前列中央、剣術仲間と大正2年5月撮影)。同4年(1915年)1月5日、小樽で没。享年77歳だった。墓は分骨されて3カ所に設けられ、うち1カ所は前記の滝野川の近藤の墓の隣にある(下の写真の下)。
 なお、21年3月27日付日記:「幕末に無敵の強さで京の治安を守った武装集団=新選組、戊辰戦争後も生き残った義に生きた武士たちの維新後:後編(斎藤一、永倉新八)」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202103270000/も参照されたい。

注 容量制限をオーバーしているため、読者の皆様方にまことに申し訳ありませんが、本日記に写真を掲載できません。
 写真をご覧になりたい方は、お手数ですが、https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202606240000/をクリックし、楽天ブログに飛んでいただければ、写真を見ることができます。

昨年の今日の日記:「世紀の発見『死海文書』の年代は従来の放射性炭素年代より100年は古かった:AIが正した試料の汚染」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202506240000/

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