米東部時間で本日、サッカー、ワールドカップ北中米大会が開かれる。
1930年に南米ウルグアイで第1回大会が開催されて以来、アメリカ、カナダ、メキシコの3カ国にまたがって開かれる初めての大会だ。選手たちは、広大な北中米大陸を短期間に移動させられる過酷な大会になる。
◎戦後初出場・初優勝した西ドイツの「ベルンの奇跡」――1954年
ワールドカップは、1942年、1946年は、第二次世界大戦のために中止され、1950年のブラジル大会で復活・開催された。しかしこの大会には敗戦国ドイツ(当時は西ドイツ)は参加を許されなかった。
西ドイツが初めてワールドカップに出場したのは、1954年のスイス大会だ。
初出場したこの大会で西ドイツは大きな番狂わせを演じる。決勝で、この試合まで4年間も無敗だった「マジック・マジャール」(下の写真の上)と愛称された当時の最強国のハンガリーを破り、初優勝を果たした(下の写真の下)。
◎初の東西ドイツ戦で西ドイツ敗北――1974年
この勝利は「ベルンの奇跡」として、第2次世界大戦後の敗戦国としての汚名を引きずり、また自信喪失気味だった西ドイツ国民を熱狂させた。ちなみにこの時の熱狂は、35年後の1989年、ベルリンの壁の崩壊という「ベルリンの奇跡」と匹敵するほどのものだったという。
西ドイツとワールドカップのドラマは、1974年の西ドイツで初開催された西ドイツ大会にも引き継がれる。この時、西ドイツは1次リーグで決して敗れてはならない相手に不覚をとる。この大会に初出場したソ連の傀儡国家東ドイツは、西ドイツと対戦し、1対0で大番狂わせとなった。その痛手を幸いにも西ドイツは引きずらず、2度目の優勝に輝いた。
◎決勝ゴールを決め、英雄扱いのシュパールヴァッサーの不遇
さて、ドラマは続く。1次リーグで1対0で西ドイツを下した東ドイツの決勝のゴールは、ユルゲン・シュパールヴァッサーだった(下の写真の上=ゴールの瞬間、黒いシャツがシュパールヴァッサー;下の写真の下=74年のシュパールヴァッサー)。彼は帰国後、英雄として東ドイツで熱狂的に迎えられた。
スターリニスト東ドイツは、この勝利を「社会主義の資本主義に対する勝利」として大々的に政治利用した。英雄シュパールヴァッサーも。
だがスターリニストによるこの政治利用に、シュパールヴァッサー本人は息苦しさを感じるようになり、秘かに不満を溜め込んでいた。英雄視される一方、本人が望んだ世界最高峰の1つの西ドイツ「ブンデスリーガ」に加われなかった。
◎西ドイツに亡命も非現役だった
共産主義体制への嫌悪を世界に広く表明したのが、1988年1月の西ドイツへの亡命だった。現役を引退し、スターリニストの監視も緩んだすきに、西ドイツで開催されたOB選手のトーナメント大会に参加した後、東ドイツに帰国せずそのまま西ドイツに亡命したのだ。娘が政治的抑圧のため国外退去を申請し、シュパールヴァッサー自身の職業的地位も危うくなっていたといわれる。
彼の亡命は、1年10カ月後のベルリンの壁の崩壊を予示させるものだった。亡命時には39歳だった。もっと若く、少なくとももう10歳若ければブンデスリーガに引っ張られて大活躍したはずで、まさに惜しい生涯だった。
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