人間のように「聞く」昆虫は多くない。中にはコオロギやバッタのように、空気中を伝わってくる音を感知する鼓膜状の構造を持つ昆虫もいるが、ほとんどの昆虫にとって「聞く」とは、木の葉や枝、地面などの物体を伝わる機械的な振動を感じ取ることを指す。
◎幼虫のそばでおしゃべりして激しく反応する幼虫
ニューヨーク州立大学ビンガムトン校の生物学者キャロル・マイルズ博士の研究室では、この1年ほど、よく見られる光景があった。飼育しているタバコスズメガ(Manduca sexta)の幼虫のそばで同僚と話していると、幼虫が毎回、まるで驚いたように飛び上がるのだ。「同僚には『キャロル、ちょっと静かにして。幼虫が怖がっているよ』とよく言われました」とマイルズ博士は話す。
どうしてこんなことが起こるのか、マイルズ博士は興味を持った。翡翠(ひすい)色をしたタバコスズメガの幼虫は、北米から南米にかけての農場や家庭菜園でよく見られる。成虫は口の近くに鼓膜状の構造を持つが、幼虫の時にはそうした構造は全くない。それでも音に反応するのだ(写真=タバコスズメガの幼虫と成虫)。
◎自分の心臓の鼓動さえ聞ける無響室で試験
その理由を探るため、マイルズ博士の研究チームは、体毛を顕微鏡下で切り取る作業や、世界でも有数の静寂な空間(無響室)での実験など、複雑な研究を何年もかけて進めてきた。2025年12月に第6回日米音響学会ジョイントミーティングで発表されたその成果によると、タバコスズメガの幼虫は体表の細かい毛を使って、空気中を伝わって届く音(空気伝搬音)を感知している可能性が示された。
タバコスズメガの幼虫が、物体の振動ではなく、空気の振動を感知できるかを確かめるため、マイルズ博士らは大学の無響室で一連の試験を行った。無響室は、高精度の音響研究用に設計された極めて静かな施設だ。あまりにも静かなため、中に入ると自分の心臓の鼓動が聞こえることさえある。
◎空中を伝わる音に振動よりも反応
研究チームは、タバコスズメガの幼虫に、空気中を伝わる音と物体の表面を伝わる振動の両方で低周波と高周波の音を聞かせ、その反応を記録した(写真=実験中のタバコスズメガ幼虫)。データを解析したところ、幼虫は表面の振動よりも空気を伝わる音の方に10〜100倍も強く反応することが分かった。つまり幼虫は、空気中を伝わる音を確かに聞いているのだ。こうした大きな差が昆虫で見られることは稀だ。
これが分かったので、研究チームはその仕組みを探ろうと試みた。幼虫の体表を覆う小さな毛が関わっているのではないかと考え、それを確かめるため、幼虫の胸部と腹部の毛を取り除いて実験を繰り返した。予想通り、毛を失った個体はほとんど音に反応しなかった。
◎毛で音を感知する聴覚システムは捕食者から身を守るために進化か
ドイツ、ゲッティンゲン大学の細胞神経生物学マーティン・ゲプフェルト教授は、こうした聴覚システムは、おそらく捕食者を避けるために進化したのだろう、と推測する。
研究チームによれば、タバコスズメガの幼虫は、天敵であるスズメバチの羽ばたきの音を聞き取れるだけでなく、激しく反応するという。翅音を聞くと、幼虫は跳ね上がったり、体を反らせて防御姿勢をとったりして、近づき過ぎる相手に噛みつく構えを見せる。
昆虫は少なくとも24回、独立に聴覚を進化させてきたとされる。その結果、人間とは全く異なる、驚くほど多様な聴覚システムが生まれた。こうした理由から、音を捉える新しいデバイスを設計する際、エンジニアたちは昆虫の体の構造に着目することがよくある。
◎小型で安価な「新しい種類のマイク」発明のヒントになる?
現在のマイクロフォンが今のような形(つまり圧力を検知する振動板を使う形)になっているのは、人間がとても傲慢な生物で、自分たちの耳ばかりに注目し、他の生物が持つ多様な耳にはほとんど目を向けてこなかったからだ、と語るのは、ニューヨーク州立大学ビンガムトン校の機械工学教授で、今回の研究の最終著者でもあるロナルド・マイルズ博士だ。
昆虫に着想を得たマイク設計で特許を取得したこともある同博士は、タバコスズメガの幼虫が、現在のものよりも小型で安価な「全く新しい種類のマイク」を生み出すヒントになるかもしれないと語る。
◎多種多様な「耳」をもつ昆虫たち
庭のトマトをムシャムシャ食べているタバコスズメガの幼虫が、将来ほんとうに次世代のマイク技術を生み出すヒントになるかどうかはともかく、彼らがどのように音を聞いているのかが明らかになったことは、人間にとって間違いなく有益だ。
生物の中でも昆虫は、とりわけ多種多様な『耳』を持っている、と先のゲプフェルト博士は指摘する。そして、こうした「昆虫の耳」は、人間の耳には到底できないことをやってのけることが多い。
例えばハチミツガは、他のどんな生物にも聞こえないほどの非常に高い音を聞き取れるし、一部のハエは物理的には到達し得ないと思えるほどの精度で音の発生源を特定できる、と同博士は説明する。
昆虫を通して、自然は私たち人間に、音を感知する際の物理的な限界は乗り越えられるのだと教えてくれているのだ。
注 容量制限をオーバーしているため、読者の皆様方にまことに申し訳ありませんが、本日記に写真を掲載できません。
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