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2024年03月05日23:02

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「『日本国紀』の天皇論」 百田尚樹&有本香著

「『日本国紀』の天皇論」
百田尚樹&有本香著、産経新聞出版 令和元年11月4日第2冊発行。
二十歳の頃、ハンガリーのソンボトヘイに住む方にお世話になり、バラトン湖畔に所有する別荘へも連れて行っていただき、約2週間位だったか、一夏を楽しませていただきました。ある夜、夕食後に一家揃って夜空の下の庭で寛ぎました。バラトン湖畔の爽やかな風が吹いていたと記憶しています。美しい夜空の下、昔はボクサーだったという凄い体格のおじいちゃん、お父さん、お母さんらが、「日本はどうやって日露戦争であの大国ロシアに勝てたのか?」、とか、「ヒロヒトは今も元気なのか?」、とか、「ヒロヒトは爪は自分で切っているのか?」、とかとか、様々な質問をぶつけられました。勿論、娘達の拙い英語通訳を通じて、なのですが。。私は冷や汗をかきながら、まともに答える事が出来ませんでした。のみならず、推測でもいいから気の利いた作り話さえ聞かせてやる事が出来ませんでした。20歳にもなったええ青年?が、自分の国の元首について、お世話になっている目の前の、親日国とされる外国の人に対して、殆ど何も話をする事が出来なかったのです。九割は私個人の不勉強のせいだったとしても、残りの一割は、まともに学校で教えてくれなかったから、という言い訳をしてしまう自分がいるのです。さて、あれから、40年以上が経ってしまいました。私は、自分の国、我が国の元首について、何処までを知り、何処までを次世代に伝え、何処までを外国の人に説明出来るのか、、、と自問自答すると、未だ未だまともに身に付いていない、と猛省させられます。また自分自身、西暦の表面上の便利さにつられて、元号を軽視して来たと痛感させられています。
この「『日本国紀』の天皇論」を読了した後、引き続き、一歩ずつ取り組まねば、と身が引き締まる思いです。。。

古代の天皇は圧倒的な武力を持った権力者であったが、天皇はその権力者の座をすでに平安時代には降りて、「権威」になった。そして藤原家が実権を握ったが、藤原家自身は等々天皇にはなれなかった。
世界の歴史では、権力の座を奪われた者は、新しい権力者によって殺されるが、日本の天皇はそうではなかった。平安の終わり以降、日本には権力と権威が分かれて存在することになった。その天皇の権威というものは、理屈では説明出来ない。だから誰も、権威を奪うことはできなかった。藤原家も、平家も、北条家も。足利義満も、織田信長も、あるいは徳川家の将軍たちも。
鎌倉幕府、室町幕府、江戸幕府の「幕府」とは天皇の出張所という意味であり、つまり天皇に代わって政(まつりごと)をやっているにすぎないということ。
「大政奉還」とは、権力をお上(天皇)にお返ししてしまうこと。
大東亜戦争後、その権威を消し去ろうとしている勢力がたくさんある。
昭和21(1946)年2月4日に「教科書検閲の基準」が連合国軍総司令部のCIE(民間情報教育局)によって決められ、日本の伝統に関する相当な言葉が削除された。
←こんなにも手足を縛られたら、
最早、学校で社会、道徳、国語などを学ぶな、
と言われているに等しいのではないか?「わが国」という世界のどの国でも当たり前に使われる言葉迄削除されたとは。「この国」という言葉が使われたの源流はここだったのか。。
「人間宣言」という嘘。
サザエさん一家を例に挙げての万世一系についての理解。。等々。
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