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2023年07月09日21:05

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大河ドラマ どうする家康 第26回「富士山遊覧」

・天正9年(1581年)徳川家康は武田が治める高天神城を攻め落とす。

・天正10年(1582年)織田軍、徳川軍は武田の本拠地 甲斐を攻める。
 徳川家康は甲斐の躑躅ヶ崎の館へ。そこには徳川に寝返った穴山梅雪が家康と対面する。
 その後、武田勝頼は追い詰められ、織田の手勢によって討ち取られる。

・織田信長は諏訪に陣取り、そこで徳川家康と面会、家康は此度の武田勝頼を討ち取ったことの祝いを信長に言上するとともに、信長の富士遊覧を提案し、信長は家康の接待を受けることにする。

・家康は信長富士遊覧のために徳川総かかりで、遊覧コースを準備する。しかし信長は
 家康の用意した遊覧コースを一部パスし、予定より早く富士山浅間神社に到着する。
 信長の前倒しの行動にもかかわらず、徳川家臣は臨機応変に準備を進め、信長を接待する。そして家康自ら舞を舞い、信長は満足し、此度の家康の接待は大成功の結果となる。
 一方、信長は此度のお礼として家康に安土で接待することを提案し、家康は承諾する。

・羽柴秀吉は備中高松城にて毛利攻めの最中であり、武田勝頼が討たれ、徳川家康が織田信長を富士山遊覧で接待し、高評価であったことを耳にする。

・徳川家臣は、徳川家康にもうこれ以上織田にはついていけないと本音を言うとともに
 家康の本音を問いただす。そして、家康は家臣に信長を討ち、天下を取るという野望を
 示す。

(感想)
・明智光秀は武田攻めでは何の働きもせず態度がでかい。その後、信長が光秀の高飛車な
態度を叱りつけるのが通例でしたが、此度はずっと、態度がでかいまま。なんか光秀の動きが不気味に思えました。

・結局、穴山梅雪は徳川に寝返りました。そこで武田信玄の亡霊が家康に話しかけるシーンはよかったです。やはり武田家が滅ぶシーンは残念なシーンでした。

・此度、徳川家康は駿河を再び、今川氏直に治めさせることを織田信長に申し出ましたが、当然、信長はそれは認めないでしょうね。おそらく、信長は徳川と今川が手を組んで
織田にたてつくということを恐れたのでしょうね。

・最後に徳川家康が信長を討ち、天下を取るという爆弾発言が。家康はうまいこと明智光秀をそそのかし、信長を本能寺で撃ち取らせるという展開になるのでしょうか?
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