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2021年12月26日21:08

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大河ドラマ 青天を衝け 最終回「青春は続く」

・冒頭に徳川家康登場。渋沢栄一の物語を幕を閉じるにあたり、今後は皆さんに栄一の夢を追い続けてほしいと頼む。

・1919年第一世界大戦が終わり、パリ講和条約が結ばれる。

・原敬首相は渋沢栄一にワシントン軍縮会議のことを話す。栄一は米国の日本人排斥問題を取りあて毛てもらうよう、米国に渡ることを検討する。

・栄一の孫 渋沢敬三は東京帝国大学を卒業、横浜商金銀行に勤める。

・大隈重信も病になり、渋沢栄一が見舞う。栄一は日本人の米国の移民を問題を解決するために再び米国に渡る決意を示す。

・ワシントンにて渋沢栄一はワシントン軍縮会議で日本の移民問題を取り上げてもらうよう働きかける。軍縮会議は米国の要望通り、日本も軍縮に応じたが、移民問題は議題にとりあげられなかった。栄一は軍縮会議の中、原敬首相の暗殺を知るとともに、列車で米国を移動中、大隈重信が亡くたったことを新聞で知る。

・渋沢敬三は岩崎弥太郎の孫 登喜子と結婚する。敬三は栄一に父 篤二を許してほしいと頼む、。

・1923年9月1日関東大震災が起こる。渋沢栄一、渋沢篤二は無事であったが、明治時代に作った兜町の事務所は全焼する。栄一は復興ため必死に働く。そして篤二も手助けする。中華民国をはじめとする世界各国から震災による義援金が集まる。その時、敬三はイギリスにいて、栄一、篤二の無事を知る。

・1925年(大正14年)敬三と登喜子の間に子供が生まれ 雅英となずけられる。栄一の曽孫にあたる。その後、敬三は日本に帰る。

・日本に帰った敬三は栄一に栄一のことを知りたいので、栄一の生涯を教えてほしいと頼む。

・1931年(昭和6年)中華民国は豪雨に会い、渋沢栄一はラジオの前で中華民国に寄付をするよう国民に訴える。栄一の放送の成果で中華民国への寄付金はたくさん始まる。
しかし、同じ年、日本が中国で満州事変を起こし、中華民国は日本への抗議のため、豪富に対する義援金の受け取りを拒否した。

・その後、渋沢栄一の体は衰弱し、篤二、敬三の見守られる中、1931年(昭和6年)11月11日 91才にて永遠の眠りにつく。

・そして、渋沢栄一の追悼会が行われ、渋沢敬三が栄一のことを語るとともに栄一の伝言を伝える。

(感想)
・渋沢栄一は91才もの長生きをしたとは知りませんでした。

・そして関東大震災も描かれ、その時、息子の篤二が戻ってきてよかったです。

・渋沢栄一の中華民国への必死の寄付の呼びかけにもかかわらず、日本軍部は中華民国に対して、満州事変が起こり、栄一の努力が水の泡になったことはとても残念。。

・最後は敬三が血洗島に行き、若きころの栄一に会うところで終わり、いい終わり方でした。

・栄一は90才になったにもかかわらず、かなり若くみえました。

・今回の大河ドラマ青天を衝け 最後になりましたが、今回もすべての話見れてよかったです。来年は時代はかなり遡り鎌倉時代の北条義時を描いた鎌倉殿の13人かなり期待できそう。
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