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2021年05月12日07:41

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ナサリン

『ナサリン(Nazarín)』メヒコ1958年公開、ルイス・ブニュエル監督、Francisco Rabal、Marga López、Rita Macedo、Jesús Fernández、ら。
メキシコのスラム街を舞台振り出しに、スペインからやって来た敬虔なナサリン神父(Francisco Rabal)の巡礼物語。喧嘩の末に仲間を殺めてしまった娼婦Andara(Rita Macedo)を助けたものの、そのAndaraとの関係を噂されたが為に教会から追放されてしまったナサリン神父が、改心したAndaraと娘?or 姪?のBeatriz(Marga López)という女性二人を伴って巡礼の旅へ出て、高潔さを極めようとしながらも人間としての本能をも垣見せます。特にBeatriz(Marga López)からナサリンは神として崇拝されながら。美しいBeatriz(Marga López)が自身の信仰心真意に気付いてしまう事になる演出も残酷でした。巡礼途中でAndara(Rita Macedo)に対して「あんたの醜さに一目惚れした」と好意を寄せた小人のHugo(Jesús Fernández)とAndara(Rita Macedo)の出逢いと別れも印象的ですが、メキシコ映画によく登場する小人のJesús Fernández、気になり続けています。ミゼットプロレスにも出場していたのかも。。巡礼途中から共に行動した元囚人の一人から「あんたは善の側、俺は悪の側、しかし お互い何の役にも立ってない」と言われた時のナサリンの絶望表情のアップ、や、ラストシーンで路上果物屋のおばさんから提供されたパイナップルを一旦拒否したものの やっぱり受け入れた時の表情等々、、人間への回帰を感じさせるシーンが目白押しでした。巡礼途中でペストが疫る村で献身的に働いたりするシーンも登場しますが、ペストに対峙する他の映画シーンも多いですね。
ブニュエルによる批判や風刺の対象はカトリックだったのか、プロテスタントだったのか、キリスト教全体だったのか、それとも宗教家として生業っている人間だったのか、、分からなくなって来ました。何れにしろタブーを犯してまで作品を公表し続けたのは自らの命惜しくては出来なかった事だと思われますが、タブーを覗き見たい人間が社会に多かったのは社会主義、共産主義の風が吹いていた為なのか、考える程に答えが見つかりません。単なる宗教批判ではなく、本当はもっと深い世界を追及しようとしていたのでは、との見方もいろいろとあるようで。。観るものによってホッとさせられたり、落胆させられたりするのでしょう。
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