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2024年05月25日18:38

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「天北原野」三浦綾子著

「天北原野」
三浦綾子著、新潮文庫 昭和60年発行、平成13年36刷版。
北海道には私用や仕事で何度か足を運んだのですが、大学卒業前に10日間周遊した中で訪れた稚内と宗谷岬が今ではとても印象深いです。宗谷岬から望む樺太(サハリン)に対する想いはその後様々に追加されて来ました。「氷雪の門」原作と映画、女優 岡田嘉子さんによる北樺太への愛の逃避行、、(樺太でロケされたと思ってしまった原節子出演の昭和11年公開映画「生命の冠」は樺太ではなく国後島でのロケでしたが、、)

本作品、北海道のこと以上に、行ったことのない、おそらく死ぬまでに行く機会はないであろう樺太の事をいろいろと想像させられました。
生きるということ、生きているということは、
何処かで誰かを傷つけているということになる、、、という孝介の言葉が重いです。この世に生まれ落ちる、ということは、必ず誰かを傷つける運命にある、、ということになるのでしょう。輪廻、やら、因果応報、やら、この世に一度生まれ落ちたら決して逃れられはしない運命の定めというものを肩にずっしりと感じ、肩が凝ったように感じました。
読み出し始めでは、突っ込みどころも頭に浮かびました。言われのない放火につき、主人公の一人である池上孝介の父親が、校長ともあろうものが潔く認めないなんて、、と言われながら地元の巡査部長に殴られ頬を腫らしてもおとなしく黙っていた、とか、民間人に暴力をふるっても平気な巡査部長の存在を許している地域社会っていったい、とか、、こんな描写をした三浦綾子さんの心中はいかばかりだったのか、、この不条理な人物設定に不満なまま読み続けてもよいのだろうか、、、?、と。性善説?に基づく戸締りの緩さかげんによる不幸の始まりが起こるのは当然ではないのか?、とか。完治による貴乃への強姦についても、三浦綾子さんが描きたかったからなのか、、、それとも連載?の朝日新聞社?担当者?からの要望?とか、出版社からの要望に応えたからなのか、、、?、とか。
令和の現在から俯瞰しようとすると納得し難い点でイライラさせられたりもしますが、、いけないですね、現在の視点で過去を評価しようとする習慣、反省させられます。当時の世相や社会に自分が生きていたら、、きっとなりし、右向け右しながら生きているのだと思います。
上巻141頁〜
樺太 豊原における料亭「みよしの」での、
池上孝介と志田原あき子の結婚披露宴、媒酌人である樺太水産界の有力者 榎本保郎による挨拶の中で、与謝野鉄幹の「妻を娶らば才たけて みめうるわしく情けある、、」との紹介、、以前観た映画で主演の仲代達也がある披露宴で歌っていたシーンを思い出し、、私も歌ってみたい、、と改めて思わされました。
上巻400頁、
あき子が貴乃に向かって、、「ああ、おねえさん、帝国ホテルでね、あたし、田中絹代を見ちゃった」「あら、そう」「きれいだったわよ、ほっそりとしてて、岡譲二と、映画関係の人たちと、食堂で食事してたの」
「樺太は危ないから北海道に帰って来い、札幌あたりに土地を買っておけ」と何度も強く言う兼作の先見性が描写されていますが、実際にきっと少なからずいたんでしょうね、樺太が必ず"力づくで取り返される"と予測出来た人が。但し、外では言えなかった。満洲国はどうなんでしょうか、日ソ不可侵条約が破られる事を予想し、内地に戻って人とか、いたんでしょうか?
主人公 貴乃の父親である大工の兼作は、
神棚を祀らぬ人間である事が書かれており、そんな兼作に育てられた貴乃もあまり縁起をかつがない、と。
完治が弥江に対して「行儀よくして眠れよ。女は寝姿も大事だからな」
下巻344頁、
完治らがソ連軍から逃れるために逃避行する中、鉄橋を渡る様はまさに1986?年米国映画「スタンドバイミー」で観た鉄橋渡りシーンそのものを思い出しましたが、この小説では重い荷物を背負いながら砂地目掛けて飛び降りた笠野が首の骨を折って死んでしまいます。
南樺太がソ連軍に占領された時、老人女性子供の北海道への疎開、と相まって、元の住居に戻らねばならないとの命令はどうやって発せられていたのか、、? ちょっと調べてみたく。
大泊港で貴乃と京二を残した特設砲艦第二新興丸号が当初の入港予定だった稚内から小樽へ変更されたのはなぜだったのか? 三船殉難事件の全体像と共に、これも調べなきゃ、です。
乗船前の急な腹痛で便所へ寄った京二と共に
残された貴乃に父親が掛けた言葉「お父っつあんは昔から言ってるこったが、人間生まれてきた以上、幸せだけを受けるというわけには、いかねえんだ。幸せを受ける以上、不幸せも受けるしか仕方がねえ」
下巻400頁、
中学時代に父 完治の妾宅に泊まり込んだり上級生の稚児になったりして家を飛び出た加津夫が南方から帰還し、今ではよく身を入れて働くようになったが、ある日の帰宅突然、母親である貴乃に対して怒りを込めて突っかかった。。
「映画の題名が気に食わねえんだ。いいかい母さん、『我が青春に悔なし(昭和21年公開、黒澤明監督、原節子主演)』だとさ。、、、え? そんな題をよくもつけられたもんだ。おれの友達だって、弥江たちだって、みんな青春を棒にふってしまった。悔いようにも、命さえなくなったんだ」そう言ったかと思うと、肩をふるわせて加津夫は号泣した。
下巻401頁、
樺太に残る年老いた義父(昔、孝介と父の兼介をハマベツから追い出した当時の有力者であった伊之助)を危険を犯しても救出を試みんとする孝介の真実に改めて心打たれる貴乃。西能登呂の知志谷辺りはソ連兵の警戒が緩いらしく、度々 稚内の漁師達が密航しているらしい、、米がたくさん埋蔵されていて、、ソ連軍将校の娼婦になっている日本の女が手引きする、、という噂あり。

稚内の浜辺で喀血し発覚した貴乃の結核、その時代には結核の特効薬は未だ存在していなかったのですね。貴乃の言葉はいつも意味深です。「、、、別れは人をやさしくさせるものだと、、、思いましたの」

393頁では「舅」は「ちち」と読み、
405頁では「舅」は「しゅうと」と読むのですね。勉強させられます。
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