やはり買うときは、高く買わされ、
売る時は、値段はかなり下がる、安いものをより高く売るために、
資本主義は基本、動いている。商売はね。
作る側なら、安い賃金。
買う側に来ると高い商品。
勝つは、金持ち、資本家だ。
みたいな話。
中学生でもわかる
この論理がやはり
労働者を奴隷にしているのは、
否めないな。
勝ち組になれないまま、
日頃のくらしに
おわれて みたいな
やっぱり、労賃は抑えないと、
商売にならないからな。
当たり前だけれど、
労働者は生かさず、殺さずに
なりがちだ。
内部留保のお金とか、まわさないと
お金を流す、お金の論理から、すれば、
やはり、ダメだろうな。
保険かけすぎて、経済が停滞してないかな。
ぼくは、経済の専門家ではないから、
あれだけれども、
やはり買う時は高く買わされて、
働くと賃金が低く、収入は限定的、
個体限定的みたいなかんじだな。
商売の構造自体が
差をつくりだしてることに、気づかないか。
お金って、支配の装置だよな。
商売の構造自体が差をつくりだすようになってるから、格差ができるのは、
商売が基本で計算する以上、当たり前だよな。
まぁ、餓えずに、飯が食えればいい
みたいなことはある。
商売は格差生産構造をしているから、商売が基本となる社会では、貧困という囲い込み、貨幣による劇場における、「貧困」というものが、つくられている。「貧困はつくられている」商売の構造が貧困をつくるようになっているのはあるからね。
目の前で、餓えて苦しんでいても、見て見ぬふり。
新型コロナウイルスがでまわっていても、「営業」して、客が死ぬかも知れないのにシステムにおける死を避けるために、リアルな体の死を後にまわしてしまったりする。
つまり、経済の死が、リアルな肉体の死よりも先行されてしまう、
この経済的な死、経済システム的な死が、リアルな肉体のウイルス罹患による実際の死よりも、リアルに人間を貨幣絶対計算意識、防衛本能が、目の前の死をみえないようにしておく、あれ。
もしも、死んでしまったら、私の友人だった億万長者の奥さんが、何億も使わずにがんで20代で亡くなったように、死んだら、お金は使えないのに動員されて、自らの死よりも、商売の差を優先し、格差動員の国家の陰謀(!)おっと、失礼、国家の税金と監獄、警察、軍隊で統治する。
格差動員
商売に入る、働くことは格差動員であり、必ず貧困はつくられる。敗者は死ね、口では言わないが弱者は仕方ない、路頭に迷え、だろう。国家とは格差動員の正当化、商売戦争機械であり、資本主義はわるく言えば、
人よりも金、数字、
目の前の人の死よりも、会社の利益、
人の健康よりは、会社の利益、
それで、できている。
先送りされた環境問題が、
商売主義社会は地球の自爆かも知れないと、貧困をつくりながら気づくだろう。貨幣は自然に帰れ。ルソーが突然、煽りだしてもいい。
商売は格差動員である。
かくして今日も、不平等がまかりとおり、目の前で、物もない人に動じず、「経済システムに生きる意識」で、
人の死を感じないようにしている。
優秀な種は追いつめられ、思考し、行動して、自分を存続すべく、会社につくす。
経済が
種の優劣を決める。
稼げないやつはダメで、
ダメなやつはダメだから、
消えていいみたいなことは
あるだろう。口には言わないが、ダメなやつは、ダメなのであるから、そうなるであろう。
お金は人生の幅を決めてしまう。
収入と人生の幅に絶望もしたりするかも、しれない。
ただ貨幣の劇場が格差生産装置である
商売を中心に成り立っている以上、
勝ちと負けのある真実な人が生き残る、フェアな社会とも言える。つまり、たたかいの場だ。
たたかいの場がフェアだが、負けるやつが、とことん、負けて、
勝ったやつが、更に大勝ちするが、
お金の性質上、絶対はない。
フェアなのだ。
かくして、商売社会の性質上、貧困はつくられる。経済的な死という、
システムの上での死であり、
努力しないやつは、楽園から、追いだされる。
商売の構造は格差を生み出す。
商売ということの根本を組換えない限り、大地との共生も、自然にお帰りになる貨幣の葬送の時代もないだろう。
グローバルに組換えるとは、商売の構造を自然との契約関係に組み換えた、新しい共同体のあり方をすることである。
地球の持続関係が脈となり、商売が淘汰された世界が実現するのだ。
そこではルソーが夢見た、おっといけない、ここで時間だ。私はふしぎの国に帰るとしよう。
ばいにゃ〜ん。
ルソーの言う「自然状態」を素直にうけとり、健康的に自然状態を神話として、貨幣は自然に帰るのだ。
価値は地球。
地球が中心なのだ。
「自然状態」へ。
ルソー礼讃へ。
ジャン=ジャック・ルソー。
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