mixiユーザー(id:18559602)

2020年05月09日04:26

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伝わりかたに。

同じ言葉、単語でも、言う人が権力者がテレビ越しに言うのと、たとえば、
新宿のバーで、隣合った人が言うの
とでは受け取り方がちがう。

場所が高田馬場のカフェでも、
原宿のTOKYU PLAZAでも、渋谷のカフェバー、人間関係でも、場所によってちがうし、
立場によってもちがう。
同じ言葉なのに、言ってる風景でも、やはり、原体験的な風景にささえられて、思考したりしていないだろうか?

具体的な風景でも、人によって描き方があるだろうな。言語と想起の個人的な体験による違い、差異は、やはりあるかな。差異と生成は言語においては、この体験的な想起の差なのかも知れないな。

前にも書いたけど、やはり、それはあるだろうね。

言語によって
記述されたり、写真、
映像によってだり、あるとは
おもうけど、想起という
歴史を振り返れる人間の
文化的な存在が、死後ものこり続ける
何物か、何か、あるいは
具体的な形や文字から、映像、写真にしても、語れたりすることから、物と生きて
存在している何者かとして、今を生きてることが、バトンを受け継いでいることで、現代だというのは、懐かしき昔と戯れ、やはり、生を継時的に受け継ぐのが文化であり、
死者との対話が出来る、記録的な存在、記憶的な存在が文化人の複合的な縁を大事にする、それが、あるなら。


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