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2020年05月05日04:45

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合理性のたそがれ

詩って、断定されないあるものだとしたら、想像の神話の領域が言語実験的であれ、機械、AI的であれ、現代詩と
呼ばれる、あれ、であるところの、
想像、初めて使われた言葉の連なり、
固定されない、決められないある領域に漂うことすら。

敗北に
立たされないで
はじめてわかる
権力の恍惚とは違った、ある、微妙な、
地を這う、ある意味じくも、下に置かれた、決定的な敗北の、すなわち美学者が

イーハトーヴォ経済、みたいな
道徳感情、倫理の詩的なあり方について。

経済が裏側で
表はやはり人間の感情、
合理的に生が存続を
決定されながら、詩が経済に
倫理として
漂う道徳感情とは

生に寄り添い、弱い人に、寄り添い、
人間として
賢治のように寄り添う経済改革、返事、貨幣自体の告白、詩をつぶやく経済社会が詩的な生命の倫理に屋根をつくり、
机や椅子、食卓を
囲み、

ものをおもい、語りながら、ひどく美しくなっている模様。

非力の領域とは、あの領域なのか、
人は利用され、吸われ、搾取されて笑っている、

しかしながら、われわれに依存して
いるのだという労働者は資本家の
母なる存在であるとして。
聖母-労働者は

 尽きない。
 

蓄えられ、聖なる事物に憧れながら、
いとも簡単に誰もが敗退する。あれ。

いつも
静かに
わらっている、あれ。

経済、貨幣とヒエロファニーが
一体化しない
弱者しかみえない詩の領域、

いつも
ひとり歩きする貨幣を
思い出しながら、なぜにいくのかと、
問わない詩でもいいかしら。
が、

貨幣のたそがれ

負けは、負け、として
きびしさの中で、負けを
選ぶように自己実現して、詩を書いてしまう、あれ。

路上で、
最後、ノートに書いて、何かを
のこして、
場面を演じないといけなかった
彼という晩期

いつか死ぬと、なんにもないのよ、が、口癖の

酒場か色街、うつくしくあれ、 

密が
踊る

敗北経済詩

社会主義だもん。だって。

そうやって、またひとりで

道徳感情でいっぱいな
経済社会が詩的に
涙 を 持ちながら 陰で

存在の彼方と経済によるスペクタクル。

そして、
未来における貨幣のたそがれ。

合理性のたそがれ



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