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2020年04月29日23:06

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逃げ腰

『彼らは「自分が誰であるかを特定される気づかいがない時・自分の言動が処罰されない保証があると知れると、過剰に暴力的になる人間」である。そして、たぶん彼らは「あらゆる人間はそうだ」と思っている。でも、それは違う。世の中には、「自分が誰であるかを特定される気づかいがない時・処罰されるリスクがない時」でも、「お天道様」が見ているという自制を失わず、常識的に、ジェントルに、節度をもってふるまう人がいるからである。この人たちは「あらゆる人間が自分と同じだ」とはたぶん思っていない。でも、自分はそういう人間であり続けようと思っている。
 この二種類の人たちはいずれも少数派である。おそらくそれぞれ集団の10%内外だと思う(この辺の数字は私の経験知であるので、厳密ではない)。残りの80%はこのどちらが優勢であるかによってふるまい方を変える。』
(内田樹の研究室 隣組と攻撃性http://blog.tatsuru.com/2020/04/27_1819.html

ーーー
いわゆる人間の本性というものを性善説/性悪説のどちらかに決めつけることは単純すぎるわけで、内田樹の言うように「どちらの人もいるし、どちらでもない人はもっといる」というだけの話である。

そしてこれは少なくとも自分が生きているうちは『真理』である。人間100年やそこらでは変わらない。嘆いたり、怒ったり、いわんや注意して正そうとするようなことは無駄であるだけでなく有害ですらある。

だから、ひっそりと生きる。いつでも逃げられる態勢で。
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