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2019年09月30日13:42

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広がる生命

広がる生命

美学的な陶酔とかって、
解体されていく、時、
アフリカと出会って、
アフリカ音楽に、からだをゆらして
恍惚な感じの坂本龍一なんか、
まさに、そんな気がするなぁ。

結局、
どんだけ、
スペクタクルで、
見せたとか、
そんなとりあえず、
演者であることが、
大事な気がする。

善質みたいなものが、感じられないと、
美を感じないとか、
きちんとした意味をなしていないような
感じの場合には、
人間は、美と判断できない、かも、
知れないな。

人間が、
到達しようとするのは、
内的にあれば
宗教的なもので
あるかも知れない。

言語は、生命と関わって、
いるから、教養になるのだろうな。

誰もが、一時期は、読書によって、
悟りを得ようとするが、
やがて、体験がなかったら、
真実は、ないと、

気づくのだろうか?

動物的な段階を捨てされない
業のふかい人間の奥深い創造性は、
狩をはじめた猫などのようなものから、
はじまったのかも、知れないな。

「哲学者の移動」は概念だろうか?

やはり、生きて、求めた結果が、
転生につながるとしたら、
哲学出身の美もあるんじゃないかしら?

生老病死 仏教が教える、この四苦から、
人間は逃れられないのだから、
やがて、死んで敗北するわけだけど、
詩の手のひらは、
これをうけとめている
言語生命であるか。

言語には、
生命が宿る。
一般に、生きた人間が、
言葉、言語を使う場合であろう。
詩人は、最初から、敗北を知っている。

そして、
美しさにとらわれたり
哲学者になっていたり
生きて、生身の詩人は、
やはり、やばいだろう。

何か、
美しいものだけの
存在には、
死後なるのかも知れない。

生きてるうちは、
やはり、
いろいろ、あるだろう。

共犯的な快楽的な下落に落ちて、
世の楽園を

とか、
楽園思想、
楽観的な感じは、
あるだろうな。

真実と身体

言語的な思考と哲学

哲学者は一般的に、
言語的な存在であるだろう。
ふつうには、
そうだ。

真実をもとめて
思考する身体

ひろがる
生命



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