「友よ 嘆くことはない 一年は 始まったり終わったりするものではない
時間はただただ流れて行くもので
蓄積することはないし折り重なって物質化することもない
だから 友よ なにも 恐れることはない
君の人生は 武田鉄矢が暗示するような基礎工事を伴う建設作業ではない
それはおそらく 単に 喪失の過程なのだ
だから 友よ 年越しの蕎麦を飲み込む時 つまらぬ反省をするのは愚かな選択だ
反省は薬味として味わうには苦すぎるし 悔恨とて同じことだ」
(小田嶋隆「イン・ヒズ・オウン・サイト」)
こういう無常観(?)に心を動かされることが最近多い。悟りに近づいたのか、はたまたそこに逃げ込まなければやっていけなくなってきているのか。
市民プールと、素麺と、扇風機と、夕焼け空。夏に、それ以上望むべくもない。
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