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2019年06月06日16:44

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いつか来た道

『いつか来た道(The Path I Remember)』シネマヴェーラ渋谷にて。1959年、島耕二監督、山本富士子、和波孝禧、黒岩かをる、ワルター・タウチニッキ、ベルダ・鰐淵、シュタットマン・ボルフガング、ら。
先日の山本富士子さんトークショー前には集中的に御本人主演作品を鑑賞しましたが、『いつか来た道』のタイトルを目にした時には、あっち系? こっち系?かと邪推してしまいました。が、作中でも使われる楽曲「この道」の歌詞から取られていたんですね。粗筋を知って俄然注目、何がなんでも鑑賞すべき一本であると自分に言い聞かせながら本日無理して午後休みを取りました。果たして正解、涙なくしては見れない期待以上の逸品でした。音楽家だった父の遺志を継ぎ、山梨県の葡萄農園をもんぺ姿で働きながら歳の離れた弟と妹の母親代わりとして、またヴァイオリン習得のサポート役として多忙生活を続ける山本富士子の姿は、1962年の『私は二歳』で魅せた普段着姿を越えて泥臭くも美しい日常生活に包まれていました。神々しい霊峰 富士山を見渡せる葡萄畑も華を添えています。夜中に点字楽譜を製作し、毎週上京してレッスンを受ける弟に付き添い、妹と違って不運に見舞われた弟を何とかヴァイオリニストとして独り立ちさせるべく心血を注ぐ山本富士子、姉として、母親代わりとして、自分の人生をおくびにも出しません。山本富士子の恋愛話が全く絡まないこの作品、正解だったと思います。全盲の少年ヴァイオリニストを演じた和波孝禧さん、当時14歳で唸るような演奏シーンの連続に映画館内も静寂に包まれていましたが、今でも現役で活躍されており、ブログも連載されていますね。妹役の黒岩かをるさんは現在 医療業界で大活躍なされているようですね。海を越えてやって来た未だ見ぬ文通相手を限りある命の弟に会わせようと関係者に頭を下げる山本富士子、静岡市と甲府市の公演日程を変更せんが為に周りが奮闘する姿にも心を揺さぶられました。ウィーン少年合唱団の二度目来日時にロケされたらしいですが、白血病で倒れにて余命幾ばくも残されてはいない和波孝禧さんの寝床へ駆け付けてピアノ演奏と「この道」合唱、そして兄役である和波孝禧さんの代わりにヴァイオリン演奏した妹役の黒岩かをるさん、何とも心が洗われるようなシーンに涙を止める事は出来ませんでした。出演したウィーン少年合唱団のメンバーに後のオーストリア副首相ノルベルト・シュティガー(独語版)がいて再来日した際には自ら希望して山本富士子と再会しとされるエピソード、ちょっとフォローしようと思っています。
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