ハイブランドについて。
うつくしいひとが
グッチとか、
かばんね。
1年も、2年も執着している価値観なわけね。
それで、かわらず、重要事項だったりする。今のぼくはアダム・スミス。古典の本が、いちばん、興味あるわけで、なんだろう。
グッチで閉じたいせかいがあるというのかな。
では、
自明のようにグッチが価値あるものと、なっているけども、
そのグッチがなぜ、価値あるものなのか、を、説明してください。
と、いっても、広告戦略にのせられた理解しかでてこない気がする。
高級であることは、
高級な人種がつくって、
高級である。
よろしい。
では、そうであれば、グッチが
すぐれたブランドなのか、と、なりますね。今、ですよ。
歴史を見たりして、
納得して。
持続するバックへの
欲望がすごい。
いや、センス、いい人は
それでいいけど、
グッチが
それが、自分の一番、たいせつな、
もの、に、なっていて、
願望が持続している。
すごいことだ。
1年、2年たっても、同じである。
そして、
収入的に買えないから、
同じ話をする、みたいなね。
おもしろい。
ぼくは、篠田浩一郎先生の『ロラン・バルト』が買いたいけれど、6000円とかするから、躊躇している。笑。いや、買うけど、高いなぁ、と。笑。
だから、分野がちがうんだよね。
グッチのバッグは31万とかする。
高いよ。
だから、人によって価値観がちがうんだよね。ぼくは言語学者の、篠田浩一郎先生が好きだから、篠田先生の書いた本に価値をみいだすけれども、グッチのバックのひとは、わからないよね。
言語学、なんていっても、
グッチがいいんだと、思う。
ぼくはブルジョワ的な文化は、あこがれるし、今は、否定しないけれど、
王族の歴史を、ブランド品で、まかなって、貪りたい人は、相対的に貧困なんだね、とか、おもいますね。
ハイブランドがなくても、
ゆうがで、
ポップなものに囲まれて、
かわいい人がいるのを、
ぼくは知っているけど、
今は、そういう時代って、
思うね。
上の社会に
つながるべき人には、
グッチがお似合いだし、
プレゼントしても、いい、と、
思えるが、
そうでなかったら、その人には
必要ないし、
それ以上、のぞむのは、
いいとしても、
身につかないよ、と、
思ってしまう。
無駄にハイブランドを
あさるのも乞食に等しい。
ほんとうに、あなたが、ほしくて、
ほんとうにいいのなら、
一品でも、お似合いのものを。
節度あるコレクションしか、
ものを言わないでしょう。そう、おもいます。
ハイブランドを買い漁る人、
無駄に買い集めている人は弱者である。おそれているのだ。落ちることを。なにをおそれているのだ、と、言いなさい。
まぁ、
なにを着ても、かわいいし、
ハイブランド着ても、(着せてみたい。)
とか、あるよな。
ただ、
貧困を見ないようにする制度として、
ハイブランドが機能していたとしたら、時代が古すぎる、と、言いたい。
そんな感じだなぁ。
ただ、自分のだいじな、かわいいこの子だけには、ひどいものを、ひどいおもいをさせたくはない。なら、わかる。
だから、いいもの、いい服、バック、生活をあたえる。いいでしょう。
ただ、ひつようにブランド品を買い漁って、ツイートをしているのを見ると、弱者のうらがえしにしか、見えないのである。
うちのねこのあいちゃんが、たとえばだけれど、製造しているとして、
「ルイ・ヴィトンで製造した、エサしか食わにゃいにゃ。」とか言ったら、
友達減りそう、と、いうのかな、
なんか、あいちゃんじゃないよな。笑。
俺がディオゲネス学派なのに、
毎日、アルマーニのスーツをきめて、
丸の内とかで、読書していたら、
それは、それで勘違いだろう。
ちゃんと自分の仕事はしているかい?
同意できるのは、そこだと、思うよ。
ちなみに、おいらは、ふだんは、ユニクロです。
でも本当にお似合いであれば、
ハイブランドでも、買ってあげたい派です。しかし、王族の歴史を貪るのではなく、節度ある、つきあいをして、自身の身の丈にあった、ものであれば、プレゼントもありかな。と、思います。
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