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2018年10月11日05:09

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現代存在論講義

この頃は本当に読書がなかなか進まない。一か月以上も前から、「現代存在論講義」(倉田剛) を読んでいる。やっと2巻目の半分まで読んだけれど、悲しいことにすでに1巻目の内容はほぼ忘れてしまった。

結局今までに分かったことは、存在論とは「妥当な言語を模索する試み」ということになるのかなというところ。

「電子」を直接見た人はだれもいないけれど、それがあるとした方が様々な現象をうまく説明できる。物理学ではそれが「存在する」ということと同じ意味になる。生物種の本質というものを決定することは、すでに生物学者自身が諦めているようだけれど、それでも「犬」や「猫」という言葉がないと日常的には不便である。やはり、「犬」も「猫」も存在すると考えるべきなのだろうが、その言葉がなにをコミットしているのかということを明確にするのは難しい。だから存在論というものがあるのだろう。


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