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2018年07月09日06:24

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誰もが自己犠牲には感動するが‥‥

 昨日、「殿、利息でござる」という映画をテレビで見た。そして、登場してくる人々の己を犠牲にしてまで人々のために献身する姿勢に感動した。が、その映画を観た後奇妙な感慨に襲われたのである。
 人々の自己犠牲は美しいと感じる、しかし、そう感じる私は少しもそういうタイプの人間ではないのである。一応、理屈に合わぬことは嫌いだが、それは単に杓子定規なだけで、性根そのものは利己的な人間である。自分は決してそういうことはしないのに、人々の献身に対しては美しいと感じる。このような映画が作られるということは、私一人がそのように感じるということではなく、それはおそらく普遍的な感情なのだろう。
 人間の精神にはそのような善性が宿っているというようなことを言いたいのではない。それはある意味、得手勝手な都合のいい話ではないかと言いたいのである。もし世の中に、この映画に出てくるような自己犠牲をいとわないような人々がたくさんいれば、この社会は素晴らしいものになっていたはずである。
 現実はどうか。モリカケ問題のようにあからさまな不公正が公になってもそれを断罪することができない。財務省や文科省の役人だけではなく、厳正中立であるべき検察庁までもが権力者を上目遣いで見ている。まれに正直な人がいれば精神を病んで自殺してしまう、そういう社会である。
 声高に正義を叫ぶ人間は多いが、いざ現実となると誰もが利己的な保身に回るということなのだろう。それはまた他人ごとではない、自分もまたその類の人間であることを忘れてはならないということでもある。だからこそ、あえてより声高に正義を叫ぶ必要もある。自分を後戻りさせないためである。

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