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2018年07月02日11:41

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原事実

ウィトゲンシュタインの「哲学探究」の654節の「原事実」という言葉に強く惹かれるものを感じた。

【 我々の誤りは、我々が事実を「原事実」として見なくてはならないところで、即ち、我々が言語ゲームが行われているというべきところで、説明を求めるということである。】

これは言語論について述べていることだが、認識論についても同じことが言えそうな気がする。我々は事実を目にして、それがなにかの結果であると思いがちである。科学的思考というものは、さかのぼって本当の原因というものを突き止めようとするが、我々が眼にしている事実というのは、それこそが我々の思考の出発点であり、唯一の内在的事実なのであることを忘れてはならないと思う。
「善の研究」における純粋経験という概念にも原事実というニュアンスがあったはずである。「柳は緑、花は紅。」ということばにもも、現前している世界はもうそれ以上の分析を拒絶する究極の事実であるという意味が込められている。
我々は「空が青い」ということについては説明できない。「空が青い」ということが原事実であるからである。
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