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2018年06月15日07:58

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株式会社は株主の利益のためだけに?

 株式会社は株主のもの、だそうです。だから株主の利益を減らさないように会社は努力しなくちゃいけない。
 ところで東京電力は、自分の派手な不始末のツケを、政府から支援と自分のところの電力料金と他の電力会社からの電力料金でまかなうわけで、これはつまり、国民の税金と国民の電力料金でまかなうわけ。ということは、「株主ではない国民」もまた、東京電力の経営方針についてひとこと言う権利を持っていることになりません? でなかったら、お金をあげたくありませんが。

【ただいま読書中】『悪代官はじつは正義の味方だった ──時代劇が描かなかった代官たちの実像』山本博文 著、 実業之日本社、2018年、800円(税別)
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 江戸時代の「代官」は、全国の幕府直轄地(学界では「幕領」、江戸時代の呼び方では「御料所」。明治になって政府に接収され天朝御領となったことから俗に「天領」と呼ばれるようになりました)を管理するために派遣されたお役人(地方行政官)です。幕臣で「御目見得以上」の旗本から選ばれました。仕事は、年貢を集めるだけではなくて、年貢を確保するために農業経営の維持・育成、治水・道路などのインフラ整備、災害時の対応、治安維持(軽犯罪の裁判)などです。仕事は非常に幅広いのですが、権限は実はあまり強くありませんでした。細々としたことはすべて規則で決まっているので、自由裁量の余地はあまりなかったのです。
 そういえば地方でトラブルがあったとき、代官が勘定奉行に問い合わせをした手紙がやたらと多かった事例があったことを私は思い出します。間違ったらエラいことになったのでしょうね。
 報酬は……ひどいですよ。全国に40〜50人の代官が派遣されてそれぞれ5万〜10万石の幕領を任されていましたが、家禄はわずか150俵。旗本が就くポストは100くらいありますが、その中では最低ランクの報酬です。で、“低賃金"を正当化するためか「(農民の手本となる)質素な生活」を命令されていました。部下として、現地採用の手代と寛政六年(1794)からは御家人の手付などがいますが、総計せいぜい三十人くらいで大名領に匹敵する面積を管理するには十分ではありませんでした。
 ここまで“冷遇"されていたらダークサイドに落ちる代官もいたでしょうが、日本の官僚は基本的に“真面目"でした。単身赴任ではなくて家族を連れての赴任だったので、家族の前であまり悪評が立つ行動はし難かったかもしれません。
 「村」には自治組織がありました。村方三役(地方三方)と呼ばれる村役人(名主(村長)・組頭(名主の補佐)・百姓代(名主と組頭の補佐))が村政を運営し、本百姓(土地を所有する百姓)が五人組(七人組や十人組の地域もありました)を作って村政に参加していました。自治が機能していたら、代官は不要そうですが、実は陣屋(代官所)の誘致運動が各地で展開されていました。陣屋の建設や維持費は村の負担ですが、私領(大名領)から幕領になったら年貢が軽減され、陣屋をハブとして人やものが流通して村が活性化されるからです。明治時代の「連隊誘致運動」を私は思い出します。
 新田開発にも代官が重要な役割を果たしています。江戸初期には、開拓・灌漑の技術を持った人が特に選ばれて代官をしていました。村人への道徳教育も行っていますが、これは識字力がある“インテリ"の役目であると同時に村の治安を維持するためでもあるでしょう。
 代官に対する村人の抗議行動は「騒動(武力蜂起の「一揆」とは違って、整然とした抗議行動)」や「逃散」や「駕籠訴(直接上役に訴え出る)」でした。実はこういった行動は、代官も困ります。勤務評定に響きますから。特に「悪代官」ではなくても少しでも年貢を軽減させようと代官の悪行をでっち上げて訴える、なんてこともあるので、中間管理職は大変です。
 常に板挟みの代官ですが、緊急事態(たとえば大災害や飢饉)の時に一々幕府にお伺いを立てる暇はありません。即決で自己責任で自分の懐で何らかの対応を始めなければならないのです。それができる代官は「名代官」と讃えられました。
 板挟みと言えば、悪徳手代もまた代官を追い詰める存在でした。手代がいなければ陣屋の仕事は円滑に回りません。それを良いことに、公金ごまかし・年貢米抜き取り・出入り商人と癒着や賄賂など好きほうだいする手代がいて、その監督責任を問われるのは代官でした。
 巻末に「名代官」と「悪代官」の具体例が掲載されています。たとえば「韮山の反射炉を完成させた江川英龍」「青木昆陽よりも先に薩摩芋を普及させようとした井戸正明」「利根川と荒川の改修をした伊奈忠次」「島原一揆で荒廃した島原を再生させようと尽力した鈴木重成」などが名代官の代表。「悪代官」は3人紹介されていますが、簡単に「悪」と断罪するには気の毒な人も混じっています。
 「お主も悪よのう」「お代官様こそ……」「ぐふふふふ(二重唱)」の世界は、どうも時代劇限定のもののようです。そうであって欲しい。
 ところで現代の官僚たち、大丈夫ですよね? “悪代官"はいませんよね?


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