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2018年06月08日07:22

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お姫様抱っこ

 抱っこされるのがお姫様なら、どんな恰好の抱っこでもそれはお姫様抱っこ。
 抱っこされるのがお姫様でなかったら、それは非お姫様抱っこ。

【ただいま読書中】『セガvs.任天堂 ──ゲームの未来を変えた覇権戦争(下)』ブレイク・J・ハリス 著、 仲達志 訳、 早川書房、2017年、2300円(税別)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4152096780/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4152096780&linkCode=as2&tag=m0kada-22&linkId=d8984e088bfa892d221097e853270596
 「優等生」の任天堂に対して「やんちゃ坊主」のセガは挑戦を続けます。しかし理念や風土がまったく異なる二つの企業が、これまた文化がまったく異なる日本とアメリカを同時に舞台にして戦い続けるのは、まるでややこしいパズルのようです。
 セガに押されまくっていた任天堂は、「ゼルダ」と「ストリートファイター2」、さらに「スーパーマリオカート」で巻き返します。SOA(セガ・オブ・アメリカ)はアメリカ市場では善戦していましたが、その行動はSOJ(セガ・オブ・ジャパン)からは日本本社の指示を聞かない跳ね返りものの暴挙でしかありませんでした。しかもその“暴挙"が成果を出してしまうのですから、ますますSOJの幹部は不機嫌になります。SOA社長カミンスキーは、SOJに対して気遣い・敬意・配慮を示し続けます。それに対する“返礼"は傲慢・無礼・気まぐれでした。“伝統的"な日本人とアメリカ人の礼儀やマナーが逆転しています。
 “風雲児"あるいは“反逆児"だったセガも、シェアを確保すると「大企業」になってしまいそうです。それに抵抗する人もいれば、その状態を楽しむ人もいます。
 企業同士の競争が激化したせいか、あるいは時代の変化につれて企業の風土が変化したせいか、人材の流動化が起きます。引き抜き合戦、というほどではないのですが、重要人物が他の企業に移動し始めます。このへんは実にアメリカ的。そして社長のカリンスキーは「次のステージ」を目指して全速力で驀進中のセガの「未来」を危ぶんでいました。カリンスキーがセガの未来を託して話を進めた「ソニーとの提携」「シリコングラフィックスとの提携」「セガサターンの改良」提案をSOJは次々潰しました。まるでセガの未来には興味がないような態度で。しかしアメリカ市場では任天堂相手に善戦している、どころか「モータルコンバット」では任天堂に勝っているSOAに対して、日本で任天堂にぼろ負け状態のSOJがエラそうにああしろこうしろあれはするなこれはするなと命令している姿は、私には不思議な光景です。「無能な大本営」が「有能な将軍」を非難し続けている、といった感じです。
 アメリカ社会で「ゲーム」があまりに子供たちの世界に浸透したことに危機感を覚えた上院議員は「ゲームの暴力性」などを扱う公聴会を開催します。呼ばれたのは、当然ながら任天堂とセガの代表者。「善玉」は任天堂に、「悪玉」はセガに最初から割り振られていました。かつて、シアトル・マリナーズ買収の時には任天堂は「悪玉」だったんですけどね。
 カリンスキーの危惧通り、セガサターンは失敗作で、ソニーのプレイステーション(SOJが潰さなければセガが共同で開発していたはずのマシン)が大ヒット。しかしソニー・コンピュータエンタテイント・オブ・アメリカの主要幹部は1年以内にごっそりと日本本社によって“粛清"されてしまいます(この顛末はフォーブス誌1996年9月26日号で「よくやった! 君はクビだ!」という記事になりました)。こちらにも「無能な大本営」があったようです。
 かつて私もセガサターンを所有していたので、どこかで何かが違えばゲーム機の姿は現在とはもっと違っていたのではないか、と思えてなりません。ただ、本書で“悪役"を割り振られているSOJにも「自分たちの主張」があるのではないかな? それについて書かれた本は出版されているのでしょうか?
 「ビーチ」で始まった本書は、「ビーチ」で終わります。まるで、何もなかったかのように。もちろん波の立場から見たら、数年や数十年では何も起きてはいないのでしょうが。


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