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2018年05月13日09:11

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空が青いということに理由はない

前回記事についてho-anthroposさんから、「『真理が現前する』という言い方には違和感がある」との指摘を頂いた。「真理」という言葉には、「世界をこのようにあらしめている原因」というようなニュアンスあるので、そういうふうに受け止めるのは当然である。

「あるがまま」というのは、従来の「原因⇒結果」の順序を逆転させるのである。現象学的還元に似ている。科学者は、空が青く見えるのは波長の短い光が目に入るからであるというが、よくよく反省してみれば事実は逆で、「空が青く見える」という事実が先ずある。そしてそのことを説明するために、光の波長だとか視神経といういわば「虚構」を推論によって構築しているのである。

西田幾多郎は「善の研究」において次のように述べている。
≪我々は意識現象と物体現象と二種の経験的事実があるように考えているが、その実はただ一種あるのみである。即ち意識現象あるのみである。物体現象というのはその中で各人に共通で普遍的関係を抽象したのにすぎない。≫

物体現象というのは「各人に共通で普遍的関係」、つまり推論によって組み上げた科学モデルである。あくまで思考の中にしかないものである。西田は実在するのはあくまで意識現象のみであると主張する。すべてが意識現象であるとすれば、もはやそれを意識現象ということもできないので、「純粋経験」というわけである。ここまでは良かったが、純粋経験から倫理的結論を導出しようとした、それが論理論理破たんの元になったと私は見ている。

「空が青く見える」こと、それは決して何かの結果ではなく、それは究極的な事実であり、すべての始原である。そういう視点に立った時は既に観念論は克服され、素朴な実在論の地平に立っていることに気がつく。意識のハードプロブレムというものはもとからなかったのである。
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