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2018年05月09日06:40

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あと一本での足踏み

 2000本安打を目前にして足踏みをするプロ野球選手は多くいます。明らかにバットスイングが変になっていて、あれではヒットは出ないだろう、と素人目にも思えます。大記録を前にして緊張するのはわかる気がするのですが、これって「安打は個人のためのもの」だと考えるから変な力が入るのではないか、なんてことも私は思います。「安打はチーム(の勝利)のためのもの」だったら、「ヒットを打つしかない」わけではなくて、犠打とか四球とか進塁打とか、いつもと同じようにいろいろするべきことはあるわけで、そうやっていたらそのうち確率的にぽこんとヒットが出ちゃうんじゃないかしら。何しろ1999本の実績があるわけですから、その「確率」は高いはず。

【ただいま読書中】『武器を捨てよ!(上)』ベルタ・フォン・ズットナー 著、 ズットナー研究会 訳、 新日本出版会、2011年、2200円(税別)
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 1905年、ベルタ・フォン・ズットナーは女性として初めてノーベル平和賞を受賞しました。彼女は1889年に本書をドイツ語で出版、その熱心な読者の一人がアルフレッド・ノーベルで、彼は死の前年1895年の遺言書でノーベル平和賞の創設を言い遺しました。ノーベルは自身が「死の商人」と評されていることに困惑していたそうですが、彼に「平和賞」を思いつかせたのはベルタ・フォン・ズットナー(の作品と活動)の可能性が高い、と本書の前書きにはあります。ではその「作品」を読むことにしましょう。
 19世紀「ウィーン体制下」のヨーロッパは、ドイツとイタリアはまだばらばらで、あとは王国と帝国だけで構成されていました。
 登場するのは、オーストリアの将軍の娘マルタ。「私にとって女性解放が意味していたのはたったひとつ。武器をとって戦争へ赴く権利を得ること」と熱狂的に述べる人です。1857年17歳で社交界にデビュー、その舞踏会で軽騎兵中尉と恋に落ちて結婚。財産・名声・社会的に評価が高い夫、と当時の女性が望むすべてを手に入れたマルタですが、長男を産んだ59年にイタリア独立戦争が起きます。夫は勇んで出陣、戦死。マルタは絶望に沈みます。
 第二章「平和な時代」で、マルタは歴史の勉強を始めています。そして、戦争について、周囲とは違う考え方をするようになりました。夫を失った傷にも耐えることができるようになり、再婚も考えるようになりましたが、なかなか満足できる相手に出会えません。しかし、マルタと同じく、戦争についてユニークな考え方をするティリング中佐と出会ってしまいます。いろいろあって、二人は結婚。マルタは幸福な日々に酔いしれます。
 しかし、1864年、オーストリアとプロイセンはデンマークに対して戦端を開きます。問題の焦点はシュレースヴィヒ地方がどこに帰属するか。マルタは1027年まで遡ってその地方がどこに帰属していたかを調べます。結論は……「よくわからない」。様々な約束や条約や議定書が歴史に散りばめられていて、何が何だかきちんと調べれば調べるほどわけがわからなくなってしまいます。そこで叫びが起きるわけです。「力づくだ」と。そして、夫の出征とマルタの出産が、同じ日に。しかも死産。マルタは「夫も戦死するに違いない」と思い込みます。
 本書では「女性の視点」から戦争が描かれています。これは当時(女性には参政権も財産管理の権利もなかった時代)には画期的な試みだったはず。「女が政治や軍事に口を挟むんじゃない!」と一喝されておしまい、が“普通"だったでしょう。21世紀の日本でも“そういった風潮"が残っているのを見ると、19世紀はもっとすごかったはず、と私は想像しています。


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